スターリングラードの戦い2:赤軍の逆襲とドイツ第6軍の悲惨な末路

Der Krieg ist in wachsendem Umfang kein Kampf mehr, sondern ein Ausrotten durch Technik

「戦争はもはや、発展した範囲に及ぶと戦闘行為ではない。テクニックを駆使した、ただの抹殺行為だ」カール・ヤスパース

第一次世界大戦以降、総力戦と形容される大国間の戦いにおいて、近代以前の戦争の価値観は全く異なるものになっていきました。草原を闊歩する勇敢な戦列の姿も、騎士道を重んじた騎士同士の戦いも、もはや戦場から消滅し、代わりにあるのはただ、瓦礫の山と、マシンガンや戦車に嬲られて殺されていく歩兵の姿です。

1942年11月、スターリングラードの第六軍は、祖国を蹂躙された怒りに震えるソビエト赤軍の包囲網の中に孤立します。

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ウラヌス作戦の発動とドイツ軍の孤立

ヒトラーとドイツ第六軍がスターリングラードに固執しているさなか、ソビエト軍は密かに大規模な計画を立てていました。ソビエト南部に展開する枢軸軍を、100万を超える大規模な軍勢によって挟み撃ちし、二度と反撃に出られないように完全に叩き潰す、という「ウラヌス作戦」です。

この作戦は秘匿中の秘匿とされ、友軍の指揮官にすらもこの作戦内容は知らされませんでした。もちろん、100万を超える軍隊を密かに動かすことなど難しく、ちらほらと枢軸側にもその噂は流れていたようですが、あまりにスターリングラードの奪取に固執するヒトラーは、その情報を黙殺します。

割とずさんな作戦の中、こうしてヒトラーの判断ミスなども重なり、ソ連軍100万の大軍は息をひそめ、着々とスターリングラードに迫ります。

Die Temperaturen sind deutlich unter null gefallen. In der Nacht zum 19. November kommt noch ein Schneesturm auf. Ideale Bedingungen für einen Angriff. Denn die deutsche Luftwaffe kann jetzt nicht in die Schlacht eingreifen.

「気温は零度を下回っていた。11月19日の夜、吹雪が発生した。攻撃にはうってつけの条件である。ドイツ空軍はこのため、このソビエト軍によるウラヌス作戦に手が出せずにいた」

ロシアの気候条件はこの日、すべてソビエト赤軍に味方しました。吹雪によってドイツ軍はソ連軍の接近に気づきません。そして朝方、ついにソ連軍の大砲が炸裂し、ドイツ軍に対する大規模な逆襲が開始されました。

Gegen 4 Uhr morgens hat der 20-Jährige Wache, als ein dumpfes Grollen die Gegenoffensive ankündigt. „In 15 Kilometer Entfernung sah man den durch Mündungsfeuer erhellten Himmel“, sagt Schmidt.

「朝の4時ごろ、このソ連軍の憎しみの詰まった攻勢がはじめられたとき、20歳の少年兵シュミッドは目を覚ました。“15 kmの遠方で、ソ連軍の火砲が空を赤らめるのが見えた“と、この少年兵は語る。」

ソ連軍の目的は、両翼を守るルーマニア軍です。ルーマニア軍は枢軸国ですが、ドイツ軍に比べると装備も指揮系統も貧弱で、ここを突破することで、ドイツ軍は一気に挟み撃ちにあい、窮地に陥る危機を秘めていました。

ソ連軍の激しい攻勢にさらされたルーマニア軍は、数時間は持ちこたえるものの、100万を数えるソ連軍の波状攻撃によって、とうとう戦線は崩壊、ルーマニア軍は壊滅します。多くのルーマニア軍が捕えられ、逃げ惑うルーマニア兵は戦車に踏み潰されたり、飛行機の機銃掃射を受けたりして、バタバタと死んでいきました。

ソ連軍の反撃

http://warfarehistorynetwork.com/daily/wwii/trapped-in-stalingrad-marshal-georgi-zhukovs-operation-uranus/

こうすると、両翼を失ったドイツ軍は、ソ連軍の大軍に囲まれることとなります。ドイツ軍と枢軸軍は一部撤退に成功するも、スターリングラードの第六軍はヒトラーによって「スターリングラード死守」の命令が発令され、撤退を許されません。

こうして、撤退する唯一のチャンスを失ったドイツ軍25万は、海に浮かぶ孤島のように、ソビエト軍の真ん中にぽつんと孤立することとなったのです。

ウラヌス作戦

包囲戦と第六軍の運命

ソ連軍の大軍に囲まれた枢軸軍の籠城戦が始まりますが、ヒトラーとゲーリング元帥は、状況をそこまで悲観視していません。というのも、彼らは優秀なドイツ空軍によって取り残されたドイツ軍に武器や食料を空輸し、ソ連兵との戦いを続けられると鷹をくくっていたからです。

確かに、独ソ戦開戦当時、ドイツ軍の空戦能力はソビエトを凌駕していました。しかし、開戦からすでに2年が経過しようとしており、ここまでの作戦で多くの優秀なパイロットが戦死しています。また、気象条件も吹雪と濃霧という過酷なもので、こうした条件下ではいかに優秀なドイツ空軍とはいえ、その戦力をフルに発揮できません。

というわけで、ゲーリングが大見得をきったのとは裏腹に、スターリングラードに取り残された第六軍は武器や弾薬はおろか、食料すらも行き届かない状況に陥ったのです(ちょうど同時期、ガダルカナル島でも全く同じように日本軍が補給に失敗し、大勢餓死者を出しています)。

„Dann gab’s meist dünne Suppe“, sagt Schmidt. Die Brotration wird ständig gekürzt. Von 100 auf nur noch 50 Gramm pro Tag. Mit jedem Tag schwindet die Hoffnung der ausgemergelten Männer. Resignation macht sich breit.

「ほぼ毎日の食事は薄いスープだった。パンの配給量はどんどん少なくなっていった。毎日100gだったものが、仕舞には50gになった。日に日に、やせ細った男らの希望はくらんでいく。ある種の諦念が、兵の間に蔓延し始めていた。」

食料、水、そしてソ連の過酷な冬を乗り切るための防寒具、といった、生きるために必要なものの全てが、ドイツ軍の間で欠乏し始めていました。にもかかわらず、市内では依然として連日、ソ連軍との激しい市街戦が繰り広げられています。

ドイツ軍は、もはや戦闘どころではありません。屈強だったドイツ兵たちはやせ衰え、やがて病気が陣営に蔓延し始めます。氷点下をはるかに下回るソビエトの冬を耐える体力のないものから、静かに息を引き取っていきました。

こうした第六軍の窮乏を見かねて、ドイツ軍の名将マンシュタインが救出作戦に乗り出しますが、すでに南方方面のドイツ軍は兵力不足に陥っており、結局これには失敗します。この救出作戦に失敗したのは、12月も末になるころでした。地獄のような戦場にも、クリスマスはやってきます。

Der 24. Dezember hat sich besonders tief in Diethers Gedächtnis eingegraben. Der 21-Jährige soll ein Haus für Weihnachten herrichten. Notdürftig werden zerschossene Fensterscheiben abgedeckt. „Wir hatten sogar einen Weihnachtsbaum“, erinnert sich der Hunsrücker. Es ist ein ergreifender Moment – Tausende Kilometer von der Heimat entfernt, die die meisten nie mehr wiedersehen werden. Tränen fließen. Die Gedanken der Männer sind bei der Familie zu Hause.

「12月24日のことを、Dietherは特にはっきりと覚えている。この21歳の兵士は、クリスマスのために部屋を整える必要があった。かろうじて、銃創だらけの窓ガラスを覆うことができた。そんな僕らでもクリスマスツリーはあった、と彼は語る。それは、感動的な一晩であった。彼らのほとんどが二度と見ることのできない故郷から何千キロも離れた場所。涙が滂沱として流れた。彼らは、彼らの家族に思いをはせた。」

ドイツ兵も人間ですし、ソビエト軍も人間です。故郷に帰れば愛する家族がいて、守るべき恋人や子供がいます。クリスマスを迎え、状況はドイツ軍にとって絶望的でした。

1月に入ると、ソ連軍もドイツに降伏を勧めますが、ヒトラーからは徹底抗戦の命令が出ており、第六軍は降伏できません。また、司令官はともかく、これまでソ連領内を荒らしまわったドイツ兵を、あの残忍なソ連軍が降伏したからといって丁重に扱うわけがありません。

そんなわけで、1月、もともと氷点下の耐え難い気温がさらに水が瞬時に凍てつくほどの気温になるころ、ドイツ軍は依然としてスターリングラードでの籠城を続けていました。スターリングラードはすでに廃墟ですので、寒さをしのぐところはどこもありません。

スターリングラード中央を占拠するソ連軍

そして1月中旬、ドイツ軍の最後の飛行場がソ連軍に占領され、飛行機で脱出する、という最後の望みも潰えます。

So, nun weißt du es, dass ich nicht wiederkomme. Bringe es unseren Eltern schonend bei. Ich bin schwer erschüttert und zweifle sehr an allem. Einst war ich gläubig und stark – jetzt bin ich klein und ungläubig. Vieles, was hier vor sich geht, werde ich nicht erfahren, aber das Wenige, das ich mitmache, ist schon so viel, dass ich es nicht schlucken kann. Mir kann man nicht einreden, dass die Kameraden mit dem Worte „Deutschland“ oder „Heil Hitler“ auf den Lippen sterben. (Letzte Briefe aus Stalingrad)

「一体君は、僕が二度と生きては戻れないことを知っているだろうか。この手紙を両親のもとに届けてほしい。もはやショックに目がくらみ、僕はすべてが信じられない状態だ。かつて、僕は己の信念を貫き、そしてたくましかった。今や僕は弱々しく、なにも信じきれずにいる。ここで行われている多くのことを、僕は体験しないで済むだろうが、それでも既に、僕には耐えきれないことでいっぱいだ。僕には、多くの戦友たちが “ハイル・ヒトラー“ や “ドイツ万歳“ と、口にしながれ死んでいくことを、とてもではないが信じられない。」スターリングラードからの最後の手紙

四方からソ連軍が包囲を狭めており、ドイツ軍は限界が近づいていました。玉砕か降伏か、の選択が迫られるなか、ヒトラーはパウルスを元帥に昇格させます(過去、ドイツの元帥で敵に降伏した者はいないため)。

現場の絶望とは裏腹に、ドイツ参謀本部はパウルス率いる第六軍に対し「英雄抒情詩のような壮絶な玉砕」を望みます。

しかし、矢尽き刀折れた状況となり、食料も水も存在しないスターリングラードで、ドイツ軍にはこれ以上抵抗する力は残っていませんでした。1月末、ドイツ軍はついにソ連軍に降伏、この瞬間、スターリングラードの戦いは終焉を迎えます。

ドイツ軍の降伏

包囲された30万人の枢軸軍のうち、この降伏まで生き延びソ連軍の捕虜となったのが約10万人です。スターリングラードの地獄を脱した彼らには、ソ連軍の捕虜収容所という別の地獄が待ち受けていました。

まず、収容所につくまでの道のりで、すでに長い籠城戦を強いられていたドイツ兵は力尽き、歩くのがやっとの状態です。。彼らには長旅に耐えうる力は残っていきませんでした。凍傷にかかって足の皮膚がはがれるもの、空腹で餓死する者、雪の上に倒れ、そのままソ連兵の見張りに射殺されるものなど、彼らの運命は口にするだに悲惨です。

移送中にも飢えとチフスなどの病気によって、そして移送後も激しい重労働などにより、ドイツ軍捕虜はその数を減らしていき、結局10万人の捕虜のうち、戦争が終わるまで生き延び、故郷に生還できたものがたった6000人だったと聞けば、いかに凄惨な状況であったか理解できます。

悲惨だったのは第六軍だけではありませんでした。このスターリングラードの戦いに完敗したドイツ軍は、すでに多くの兵隊を、飛行機を、戦車を、この一戦で失っており、ナチスドイツは敗戦までの坂道を転がるように下っていきます。ドイツ第三帝国がこの2年後に行きつくのは、多くの民間人がソ連軍によって殺され、凌辱され、奪われるというこの世の悲惨さを絵に描いたような本土決戦です。

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