ドイツと特攻隊:ハイデッガーの実存主義が日本の神風特攻隊にもたらしたもの

太平洋戦争末期になり、絶対防衛圏を突破された日本軍は、ついに「統率の外道」とまで言われた禁じ手、特別攻撃隊の創設に踏み切ります。

この日本軍の若きパイロットによる捨て身の攻撃作戦は、終戦までにアメリカ軍に甚大な物的、および精神的被害をもたらしましたが、戦局を覆すには至りませんでした。

今回は、この特別攻撃隊とドイツの奇妙な因縁についてまとめていきたいと思います。

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人はなぜ生きるのか:ハイデッガーと存在への問い

人間の決定的な弱点、そして他の生物との違いとは、いずれ自分が死ぬことを理解しているところにあります。この、死への時間的理解は、人をして「死ぬこと」に対する不断の覚悟に駆りたたせます。

「人はいずれ死ぬ」この明瞭な文句を、人は社会的な営みの中で忘れていきます。日常生活への没入とそれに伴う死への不覚悟は、ハイデッガーによって「頽落(Verfallenheit)」として描写されています。

人が人であるために、人は死への覚悟を受け止めねばなりません。我々は「やがて死ぬべき存在(Sein zum Tode)」であるという理解をし、哲学的覚悟を示すこと、これこそが、我々を人たらしめる条件なのです。

この「人であること」、いわばヒューマニズムへの問いは、ハイデッガーの実存主義に限らず、多感な若者を陶酔させる魔力を秘めています。共産主義は今でこそ胡散臭い政治団体の代名詞のようになりましたが、元を辿ればマルクスの「資本主義の下で奴隷のように扱われる労働者、彼らは本当に人間と言えるのだろうか」、というやはり同じヒューマニズムに対する問いから始まっています。

共産主義国家の創設のために命を賭した若き革命家たち、ナポレオンから祖国を解放するために戦った各地の軍人たち、2.26事件の青年将校たちetc…、イデオロギーへの陶酔は、自らの個としての営利を超越し、命を賭させる覚悟を若者に突き付けます。

1943年、敗色濃厚となる日本は京都大学の一室で、とある哲学科の教授が「死と人生」と名付けられた授業を行いました。彼の名は、田邊元。かつてドイツで実存主義の勉強をおこなった、ハイデッガーの弟子でもあります。

哲学者は若者を戦地に送ったのか?

田邊は1922年、ドイツに留学、その後20年近くハイデガーの研究に携わってきました。その彼が、今回教壇にたち、上述のようなハイデガーの死生観を、講義と彼の出版物を通じ、日本の若者たちに広めたのです。

結果として、彼のこの、上述のような「存在と死」に対する講義は、多くの若者の心をつかみました。「人はいずれ死ぬ存在であり、その覚悟をしてはじめて、その他の頽落した人間たちと区別される」と。

それは、単に死に場所を求める戦時中であったからなのか、それとも、そもそもヒューマニズムへの問い自体、当時の若者を熱狂させる魅力を秘めていたのか、あるいはその両方が積み重なった相乗効果なのか分かりませんが、彼の著作や講義を受け、多くの学生が神風特攻隊に志願するようになったと言われています。

Vom darin beschriebenen Verständnis des Todes als prägender Macht des Seins führt eine Linie zu Tanabes Aufruf an seine Schüler, sich Japan und der Verteidigung seiner „Großasiatischen Wohlfahrtssphäre“ zur Verfügung zu stellen. Viele Studenten meldeten sich für die Kamikaze-Einheiten.

「死が存在を形作るものだという理解は、田邊の生徒をして、祖国日本および大東亜共栄圏防衛のための協力の念に駆りたたせた。結果的に、多くの彼の生徒が神風特攻隊に志願したのである。」

ミツバチは、外敵がテリトリーに侵入すると、女王を守るために彼我の戦力差に関わらず攻撃を開始します。相手が大きい場合、何匹ものミツバチが積み重なって、相手を圧死させます。当然、同時にミツバチも圧死します。

このミツバチの行動原理は「個」ではなく「種」全体が生き延びることに傾けられています。人間以外の生物を見回してみると、生物の目的は「種をいかにして保持するか」という問いに向けられており、その中の何匹かが生き延びればいいという数の原理に従って、昆虫は何万匹もの子供を産みます。

似たようなことを、彼は講義の中で述べました。祖国日本を守るため、たとえ自らが死のうとも、この死は無駄死にではない、大和民族が繁栄するための人柱である、と。

Darin rief er seine studentischen Zuhörer auf, sich für das Wohl des Vaterlandes zu opfern, um „den Staat in Übereinstimmung mit Gottes Weg“ zu bringen

「この講義の中で、彼は彼の聴講生たちに対し、神国を実現させるため、祖国に殉じることを要請した」

ただ、一部の欧州メディアは彼の戦争責任を追及したいようですが、見方によっては、すでに絶望的な戦況化で戦場へいくことを余儀無くされていた若者に対し、死を哲学的に受け止める授業をしただけ、とも取れます。

好意的にとらえれば、絶望的な戦況化の中、決死の戦地へ送られていく若者に対し「君たちの死は無駄ではない」と、哲学という観点から救いをもたらしたとも思えます。

私には、この講義がそのような「死にゆく若者に向けた鎮魂歌」なのか、それともドイツのメディアが言うように「多感な若者を特攻隊へ駆りたたせた悪魔のささやき」なのか、判断がつきませんし、そもそも戦後70年たった現在、少ない資料で判断してはいけないでしょう。

事実として知られるのはただ、ハイデッガーの死生観は、田邊教授の講義を通じ、一部の神風パイロットにも知られていた、ということです。

エルベ特別攻撃隊

日本で導入されたこの特別攻撃隊の理念は、やがて大陸を隔てた盟友、ナチスドイツのもとにも届きました。そこで、似たようなコンセプトのもと、ヒトラーのもとで、一撃必殺の攻撃部隊、「エルベ特別攻撃隊」が創設されます。

もっとも、このエルベ特別攻撃隊と、日本の神風特攻隊の違いは、後者はそもそも死を前提にした任務であったのに対し、前者は一応申し訳程度ながら、生き延びるチャンスがあったところです(統計的には10%)。

確かに、海上の空母に対して突撃するのであれば、たとえ飛行機から脱出しても海に投げ出されるので助かりませんが、ドイツの場合、ドイツ上空に飛来する連合軍の爆撃機に体当たりする任務でしたので、直前で脱出すればドイツ国内に生還することが可能でした。それでも、以下のように、護衛部隊に守られた爆撃機を攻撃するのは至難の業だったようで、多くのパイロットがこうした作戦で命を落としています。

Am 7. April 1945 stiegen die rund 180 Jagdmaschinen des „Sonderkommandos Elbe“ erstmals zu einem Feindflug auf. Ihr Ziel war ein Verband von 1300 strategischen Bombern der 8. US-Luftflotte…. Die meisten Angreifer wurden bereits von den fast 800 amerikanischen Begleitjägern abgefangen. Die Berichte der Überlebenden, die in der N24-Reportage zu Wort kommen, schildern denn auch glückliche Zufälle, die nur wenigen zuteilwurden. Es war menschenverachtender Irrsinn.

「1945年7月、エルベ特攻隊と名付けられた180機の戦闘機がはじめて敵機めがけて実践投入された。彼らの目標は、1300機からなるアメリカの戦略爆撃機隊である。…エルベ特攻隊の多くは、800機のアメリカ軍の護衛戦闘機の迎撃をうけた。生き残った者の話によると、生き残る可能性は滅多にない偶然だとのことだった。それは、ヒューマニズムを冒涜すべき狂気の作戦であった。」

神風特攻隊がヒューマニズムに対する冒涜、というのは、欧州メディアがよく使う文句です。

別に私は戦争や神風戦術を信奉するつもりはありませんが、神風パイロットを、単にヒューマニズムに対する冒涜であったとか洗脳されたかわいそうな若者たちだと西洋的な一方的な観点から弾劾するのは、愛する者を守るために決死の操縦かんを握った神風パイロットに対する冒涜ではないでしょうか。