戦間期のドイツが生んだ人食シリアルキラー:カール・デンケ

Seine Krankheit kann man Perversion oder vornehmer Paraphilie nennen, doch deswegen weiß noch immer kein Mensch, woher der ewige Zwang zum Menschenfressen stammte

「あるいはそれを人は変態欲動や性的倒錯といって片づけてしまうことができるかもしれない。しかし、それゆえ、人々はいまだに、カニバリズム欲動がどこからやってくるのか分からないのではないだろうか。」

人間が生来悪であるのか、善であるのか、という議論は、荀子と孟子の時代から、2000年以上も続けられているテーマです。

ドストエフスキーの長編小説、罪と罰は、主人公ラスコーリニコフの罪の呵責にスポットを当て、人間の実存の崇高さを描き上げた人間賛美の名作です。カントは人間の持つ良心や倫理観の存在をあげ、動物との差異であると訴えます。一方で、倫理観とはあくまでその幼児期の環境に刷り込まれた超自我の要請であり、人間の先天的なものではないという、フロイトのような考え方もあります。

第一次世界大戦に敗戦したドイツは、多額の賠償金と多くの帰還兵などの問題により、社会インフラは絶望的な状況に陥っていました。こうした悪夢のような社会的土壌は、この時代、多くのシリアルキラーと呼ばれたモンスターを育て上げるのに十分な貢献をしました。

その中の一人、カール・デンケの半生は、かろうじて残された人間的な倫理と変態的な獣性とのあいだで板挟みになった人格の悲劇と破滅までを、我々に知らしめてくれるのにふさわしい事例ではないでしょうか。

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カール・デンケの半生

1860年、現在のポーランド領であるOberkunzendorfにてカール・デンケは生を受けました。当時はプロシア領、まだドイツ国が誕生する前の過渡期の時代です。デンケが6歳の際、1866年には普墺戦争が、1870年には普仏戦争が勃発し、プロイセンはドイツ国の領主として統一への階段を駆け上がります。

デンケの幼少期、ならびに前半生に関してはほとんど文献が残されていません。12歳の際に、家を飛び出した、とも言われています。乏しい資料を手繰り寄せれば、1893年から1895年まで、教会で十字架奉持者やオルガン奏者として従事していたが、1906年以降は教会税を払っていないことが分かるので、教会には姿を現さなくなったようです。

彼の家から見つかったノートなどをもとに推測すると、彼の、身の毛もよだつような残虐行為は1903年には開始されていました。つまり、彼は教会での役割を保ちつつも、密かに彼の生欲動を満たすための行為を、彼の屠殺小屋のような自宅で開始していたようです。1924年に発覚するまで、実に20年以上も、彼は目立たぬよう、ひっそりと町に溶け込みながら、あたかも糸をめぐらせて獲物を待ち構える蜘蛛のように。

幸運なホームレス

こうした彼の行為が白日のもとに晒されたのは、一人の難を逃れたホームレスの手によるものでした。

Unbekümmert bog der Landstreicher Vinzenz Olivier in die Teichstraße im schlesischen Münsterberg ein, wo er an diesem 21. Dezember 1924 seine Betteltour startete. Die Geschäfte liefen gut. Einige Pfennige klimperten bereits in seinem Beutel, als er vor dem Haus Nr. 10 stand und ihm Karl Denke die Tür öffnete. Der bärtige Alte musterte ihn und sagte schließlich: “Sie können sich zwanzig Pfennige verdienen, wenn Sie für mich ein paar Zeilen schreiben.” Olivier willigte ein und betrat die Wohnung. Warum auch nicht. “Ich setzte mich. Denke gab mir einen Briefbogen und Bleistift”, erinnerte sich Olivier später.

「1924年12月21日のことである。ホームレスのオリヴァーは何気なくシレジアのミュンスターべーグの道を曲がり、彼のその日の乞食ツアーを開始した。お店からの稼ぎは上々だった。通りの10番にあるカール・デンケの家のドアを叩くまでに、彼のポケットはペニヒで満たされていた。このひげ面のデンケ氏は、このホームレスを見て”なにか私のための数行文字をしたためてくれれば、20ペニヒあげるよ”と言った。オリヴァーは素直に同意し、家に足を踏み入れた。こんないい話、どうして断れようか。オリヴァーはのちに”私は椅子に座り、デンケ氏は私に便箋と鉛筆を渡した”と述懐した。」

デンケ氏は、ひげ面の、少し変わり者だが優しいおじいさんとして近所の人から親しまれていました。1860年生まれですので、1924年、逮捕当時すでに64歳、不惑をとうに迎えたこの不器用だが面倒見のよいおじいさんを、誰が変態的な性癖を隠した連続殺人鬼だと思うでしょうか。

彼はこのように、かわいそうなホームレスを家に迎えては、食事を与えたり、ささやかな仕事を手伝わせてお金をあげるなど、慈善行為に勤しんでいると、近所でももっぱらの評判でした。このホームレスのオリヴァーも、デンケ氏の言うようにちょっとしたアルバイトをして、20ペニヒもらえるのだ、と気分は上々でした。

デンケ氏の話す内容を手紙に書き起こすだけの、簡単なアルバイトですので、オリヴァー氏は今か今かと、デンケ氏が話す内容を彼に背を向けて、机の上で待っていました。

“Adolph, du fetter Wanst”, begann der Alte zu diktieren. Olivier traute seinen Ohren nicht und drehte sich langsam zu Denke um. Diese kleine Bewegung rettete ihm das Leben. Denn der Alte hatte bereits mit einer Spitzhacke ausgeholt, um Olivier den Schädel zu zerschmettern. Statt der Mitte des Kopfes traf er nur die Schläfe. “Ich war für einen Augenblick etwas betäubt, hatte aber noch die Geistesgegenwart und Kraft, nach der Hacke zu greifen”, erzählte Olivier später. Er rang mit Denke um die Hacke, gewann die Oberhand und lief mit dem Mordwerkzeug in der Hand schreiend in den Hof: “Ein Verrückter will mich erschlagen.”

「”アドルフ、この醜いでぶ男め”、とこの初老の男は口述し始めたため、オリヴァーは耳を疑い、デンケ氏のほうを振り向いた。この小さな行動が、彼の命を救ったことになる。その瞬間、デンケ氏はすでにつるはしを構え、オリヴァーの脳天をたたき割ろうと振り下ろすところであった。ただ、オリヴァー氏が振り向いたことにより、つるはしは脳天ではなく、オリヴァーのこめかみをかすめ、傷を負わせただけであった。”私は、一瞬のあいだなにがなんだか分からなかったよ。でも、すぐに落ち着きを取り戻し、彼のつるはしを捕まえようと必死になった”と、オリヴァーは言う。つるはしをめぐってオリヴァーはデンケ氏ととっくみあい、最終的に勝利をおさめると、その道具を奪って中庭に駆け出し、大声で”狂人が俺を殺そうとした!”と叫んだ。」

なにを口述するのかと思いきや、わけの分からないことを口走ったデンケ氏に対し、オリヴァー氏は耳を疑い、すんでのところで難を逃れます。さて、ところが彼の手にはつるはし、彼はホームレス、そして、彼の駆けだしてきたのは近所でも評判のよい「デンケ父さん」です。近所の人はどちらの言うことを信用したでしょうか?

Die Polizei glaubte Olivier daher auch kein Wort, als er Denkes Überfall wenig später anzeigte. Statt sich den Alten vorzuknöpfen, zerrten die Polizisten Olivier vors Amtsgericht, das ihn schon am nächsten Tag zu zwei Wochen Arrest wegen Bettelei und Landstreicherei verurteilte. Es schien, als würde Denke ungestraft davonkommen.

「警察は、このホームレスのオリヴァーの言うことを信じなかった。デンケ氏を逮捕する代わりに、彼らはオリヴァーを放置所に送り、乞食および浮浪者行為のかどで、翌日には2週間分の拘留の判決を出すつもりでいた。」

ところが、その時の裁判官はこのホームレスであるオリヴァーの言い分をちゃんと聞いたようで、事件から2日後にはデンケ氏のほうも逮捕されることとなりました。この時、近所の人は「なんであの人の良いデンケさんが!」と激怒したようで、警察のほうも、まさか彼が今までに30人以上も捕食しているシリアルキラーとは思ってもいませんでした。

もし仮に、ここでデンケ氏が素直に裁判を受けていたら、彼の今までの異常殺人は明るみにならなかったかもしれません。ところが、彼は素直に裁判を受ける道を自ら断ちました。独房で首をつって自殺したのです。

大量殺人の発覚

デンケ氏は自殺してしまいました。デンケ氏には身寄りがなかったようで、誰かがお葬式をしなくてはいけませんが、近所の人は誰も、わざわざ彼のために葬儀代を支払いたがりません、当然といえば当然ですが。

というわけで、警察が、彼の家から少しでも金目のものでも探し当て、葬儀代にあててやろう、という粋な計らいで、この人の良いおじさんの家を訪れます。そこで彼らが発見したものは、代わりに、そこで今まで20年間にわたっておこなわれてきた凄惨な殺人の跡、血痕、人肉などでした。

Denke hatte seine Opfer nicht nur geschlachtet, sondern die Knochen feinsäuberlich ausgekocht und sortiert. Im Gartenschuppen fanden die Ermittler, die mittlerweile aus dem nahegelegenen Breslau hinzugezogen worden waren, 420 Zähne und 480 Knochen. Auch die Haut hatte Denke weiterverarbeitet und daraus Hosenträger und Schnüre gefertigt. Die Schnüre hatte er in Weidenkörben verarbeitet, die er gelegentlich auf dem Markt in Breslau verkaufte.

「デンケは彼の犠牲者を殺すだけでは飽き足らず、骨をちゃんと煮詰め、整理して分けた。のちの捜査員は、庭の物置から420もの人の歯と、480もの人骨を発見した。彼は犠牲者の皮をはぎ、サスペンダーにして活用した。それらを加工し、彼はブレスラウのマーケットで売っていたという。」

彼の家には大量のノートがあり、その中には犠牲者の名前や、殺人を犯した日付が律儀にも書き留められていたため、捜査員のほうは、デンケ氏が具体的に何人のホームレスを殺害したのか、彼の自殺後に知ることとなりました。

さて、彼の殺人の目的は一体何だったのでしょうか。単に経済的困窮から、死体に肉や死体から作ったサスペンダーを売っていたのでしょうか、それとも、犠牲者の遺体を死姦したり、食することで、性的欲求を満たしたかったのでしょうか。なぜ彼は教会を去ったのでしょうか、キリスト教的な良心の呵責からか、それとも単に教会税を払いたくなかったからか。そして、なぜ彼は自殺したのでしょうか。

結局、こうした問いに対する明確な答えは、彼が自殺してしまったことによって、闇に葬られたままです。

彼の初めての殺人は1903年の時ですので、戦後のドイツの混乱が彼をモンスターに育てた、というのは少し語弊があるでしょう。彼にはもともと殺人者としての素質があり、かろうじて人間社会の秩序の中で彼の獣性を遮っていたその扉が、第一次世界大戦後の戦後の混乱で全開になったのではないでしょうか。