科学技術の暴走:1921年にオッパウのBASF工場でおきた大爆発事故

チェルノブイリや福島原発事故が物語っているように、科学技術の発展は、人々の多くの恩恵をもたらす半面、ひとたび使い方を誤ると、人々に途方もない被害を及ぼします。

まだ、この世に核兵器や原子力発電所が無かった時代であっても、そうした危険はすでに存在していました。時はワイマール共和制下のドイツ、1921年9月、第一次世界大戦の敗戦から立ち上がろうと意気込む人々のもとに、悲劇的なニュースがもたらされます。500人以上の人々が爆死したとされる化学工場の爆発事故、オッパウ大爆発事故です。

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BASFのおひざ元:ルートヴィヒスハ―フェン

聞いたことがある方がいるかどうか分かりませんが、BASFというのは、現在でも世界最大規模のドイツの化学メーカーで、10兆円近い売上高と、10万人以上の従業員数を誇る巨大会社です。

その会社が設立されたのが、1865年、まだドイツが統一される前のことで、この5年後には普仏戦争が勃発しています。化学メーカーとしてアリザリンの生産方法を確立したことから有名になり、会社は発展を遂げます。この間、ドイツ帝国が統一され、ドイツの産業も黄金期を迎えようとしているときでした。

1900年代になると、世界の化学史を変容させるような重大な発見がこのBASF社でなされました。その生産方法の名は、開発者のフリッツ・ハーバーとカール・ボッシュにちなんで「ハーバー・ボッシュ法」と名付けられることとなります。

後に、Brot aus Luft(空気からパンを作る方法)と呼ばれることとなるこの偉大な発明の特徴は、アンモニアの合成を人工的に成功させたことにあります。これによって、「肥料」と「爆薬」という、二つの貴重な資源が、輸入材である硝酸に頼らずに、ドイツが生産できるようになったのです。この発明を受け、ヴィルヘルム2世は第一次世界大戦の開戦を決意した、とまで言われるほどの大発明です。この功績がたたえられ、ハーバー、ボッシュともにのちに、ノーベル賞を受賞しています。

さて、このハーバー・ボッシュ法の発見とともに、BASFは大規模なアンモニア合成工場が必要になりました。そして、1913年、オッパウというドイツの小さな都市において、世界で初めてアンモニアの合成が行われたのです。この、ドイツ帝国の威光を喧伝するかのごとく勇ましく操業を開始したオッパウ工場は、しかしながら、10年もたたないうちに、木っ端みじんにこの世から消し飛ぶこととなります。

オッパウ爆発事故の発生

1921年9月21日の朝7時、その爆発事故が起こるまでに、オッパウ工場ではすでに2万回以上もの、アンモニア合成の作業が事故なく行われてきました。この閑静な田舎町は、しかし、突如として起きた耳をつんざく大爆発によって半壊します。

Am 21. September 1921 wurde das Oppauer Werk der BASF von einer gewaltigen Explosion fast vollständig zerstört. Zahlreiche Zeitungen des Rheinlandes berichteten in Extraausgaben über die Katastrophe

「1921年9月21日、オッパウの作業場は巨大な爆発に包まれ、ほとんど壊滅した。多くの新聞が、号外をもってこの大惨事を報じた。」

メールもパソコンもない時代ですので、当時の新聞社の中では情報が錯そうし、混乱していました。死者は1000人とも2000人とも、ドイツ国内に伝えられました。

25km離れたハイデルブルグでも、家の屋根が吹き飛んだとのことですので、その爆発の規模が計り知れます。半径80km圏内でも窓が震え、300km以上離れたミュンヘンでさえも、爆発の音が聞こえたと言うことです。

その爆心地であったオッパウの被害はすさまじく、当時オッパウには1000戸の住居がありましたが、そのうち900戸がこの爆発により使い物にならなくなり、7500人もの住民が家を失いました。爆発の跡地には直径125m、深さ19mものクレーターがぽっかりと残りました。

Insgesamt wurden mehr als 500 Menschen von der Explosion in Oppau getötet und über 1.000 Menschen verletzt, wie am 27. September bekannt gegeben werden konnte. Bereits zwei Tage vorher war unter Beteiligung von ca. 70.000 Menschen und in Anwesenheit des Reichspräsidenten Ebert, des bayrischen Ministerpräsidenten, des badischen Staatspräsidenten und von Vertretern zahlreicher Behörden und Verbände auf dem Ludwigshafener Friedhof eine Trauerfeier für die Opfer der Oppauer Katastrophe durchgeführt worden

「9月27日に伝えられたところによると、この爆発によって500人以上もの人々が亡くなり、1000人以上もの人々がケガを負った。その2日前には、7万人もの参列者、大統領エーベルト、その他もろもろの職員や親戚たちなどによって、この大惨事の葬儀が行われたところであった。」

この事故の調査がのちに行われましたが、関係者も事故の状況を語るものも、すべて跡形もなく吹き飛んでしまったため、結局詳しい原因は分からずじまいでした。

爆心地に空いたクレーター

https://www.landeshauptarchiv.de/service/landesgeschichte-im-archiv/blick-in-die-geschichte/archiv-nach-jahrgang/21091921/?no_cache=1&sword_list%5B0%5D=21&sword_list%5B1%5D=september&sword_list%5B2%5D=1921

ハーバー・ボッシュ法の生みの親である、カール・ボッシュはのちにこの事件のことをこう語っています。

Kein Kunstfehler und keine Unterlassungssünde hat die Katastrophe herbeigeführt. Neue, uns auch jetzt noch unerklärliche Eigenschaften der Natur haben all unseren Bemühungen gespottet. Gerade der Stoff, der bestimmt war, Millionen unseres Vaterlandes Nahrung zu schaffen und Leben zu bringen, den wir seit Jahren hergestellt und versandt haben, hat sich plötzlich als grimmiger Feind erwiesen aus Ursachen, die wir noch nicht kennen.

「この事故をもたらしたのは、人為ミスでもうっかりミスでもない。この自然界に存在し、あらゆる我々の営為を台無しにしようとする何かの仕業である。我々が何年もかけて作り上げてきたものは、間違いなく我々の故郷に恩恵を与えてきたはずだが、突如として、得体のしれない何者かの仕業で、悪魔と化したのだ。」

我々の生きる時代からすでに100年近く前から、このように我々の扱える範囲を超えた科学技術の暴走、という現象は発生したようです。原発だけが危険な技術だと思われがちですが、我々の生活は常に、得体のしれない「科学」という魔術とともに共存しているのだと、知っておく必要があるかもしれません。