ドイツと義和団事件:ヴィルヘルム2世のフン族演説にみる黄禍論

ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、バルカン半島におけるドイツとの衝突を避けるため、ロシアの目を東アジアに向けさせるように画策します。

その中で使われたのが「黄禍論」、つまり黄色人種をともに白人として打倒しよう、という論法です。

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ヴィルヘルム2世と黄禍論

誰も、イエス・キリストがキリスト教徒だったのか、マルクスがマルクス主義だったか証明できないのと同様、為政者や作家は、民衆をその思想に陶酔させることが仕事であって、自身がその理論の虜になっていたかどうかは全くの別問題です。

よって、政治家は、本当の意味で人種差別主義者であるべきではない、醒めた観点からこうした問題を捉えるべきだ、というのが私の意見です。倫理的な観点からではなく、利益的な観点から、つまり、国家の利になるのであれば、手の平を返して相手を利用する、くらいのしたたかさが必要だと思うからです。

例えば、ヒトラーはアーリア人以外を下等人種(Untermensch)とみなしましたが、自国に利するため、日本を下等人種のリストから外しました。人種的により近いスラブ人を下等人種と見下し、アジア人の中でも日本人は例外、とすることは、利益以外の観点から見れば不可解以外の何物でもありません。

さて、そういう政治家の差別主義利用、は基本的は大義名分をつくるために利用されます。トランプ大統領しかり、ヒトラーのユダヤ人対策しかり、国家の目的を統一するために使われるのであって、彼らが本当にその主義思想に染まっているかどうかは、はなから別の問題なのです。

ところが、ヴィルヘルム2世の黄禍論、アジア人差別は、政治的な目的に利用する以外にも、個人的な主義思想によっても支持されていたように思えます。彼は、アジア人差別を政治利用するだけでなく、自分自身がその思想に酔っていました。

Bei der komplizierten Geburt wird der linke Arm schwer verletzt und wird zeitlebens verkürzt und gelähmt bleiben. Die ehrgeizige Mutter verwindet diesen Makel nicht, wodurch die Beziehung zum Sohn schon früh gestört wird.

「難産のせいで、彼の左腕は損傷、一生短く、麻痺したままになった。功名心の強い母親は、この困難を一緒に乗り越えようとはせず、早々に息子との関係を断絶させた」

ヴィルヘルム2世は、この完全主義の母親によって疎まれて育ったといいます。この障碍者であることへのコンプレックスが、彼を差別主義者に駆りたたせる理由になったとも言われています。

ヴィルヘルム2世

ヴィルヘルム2世

多くの精神分析の文献によっても示唆されているように、幼少期の両親との関係は、その後の人格形成に多大な影響を与えます。出産時に障害をおい、そのせいで母に疎まれたヴィルヘルム2世が、性格的に歪んだ問題を抱えたまま育った可能性は、少なくとも否定できません。

義和団事件とフン族演説(Hunnerede)

ヴィルヘルム2世は、ロシアのニコライ2世の目をアジアに向けさせるために、黄色人種の脅威を喧伝します。心血を注いで、アジア人へのネガティブキャンペーンをおこなっていきます。

Völker Europas, wahrt eure heiligsten Güter!

Völker Europas, wahrt eure heiligsten Güter!

「ヨーロッパの国民諸君、汝の神聖な財産を守り給え!」

これは、ヴィルヘルム2世が当時の画家に書かせたもので、アジア人の脅威に備えるために、ヨーロッパ人は一致団結しなくてはならない、という趣旨のものです。特に、ロシアはタタールのくびきによってモンゴル軍に支配されていた苦々しい過去がありますし、ニコライ2世自身も日本周遊中に過激派の手によって頭部を切り付けられた経験があります。

さらに、ヴィルヘルム2世にとって、従兄弟であるニコライ2世は、もっとも同族意識を煽り、アジア人を敵視させやすい仲間でもありました。

1900年、ドイツ人大使が義和団事件の勃発によって中国人によって殺害されると、ことさらにヴィルヘルム2世は中国人への敵意をむき出しに、以下のような激しいスピーチを行います。悪名名高い「フン族演説」です。

„Kommt ihr vor den Feind, so wird derselbe geschlagen! Pardon wird nicht gegeben! Gefangene werden nicht gemacht! Wer euch in die Hände fällt, sei euch verfallen! Wie vor tausend Jahren die Hunnen unter ihrem König Etzel sich einen Namen gemacht, der sie noch jetzt in Überlieferung und Märchen gewaltig erscheinen läßt, so möge der Name Deutscher in China auf 1000 Jahre durch euch in einer Weise bestätigt werden, daß es niemals wieder ein Chinese wagt, einen Deutschen scheel anzusehen!“

「敵と相対する際、敵を木っ端みじんに粉砕せよ!捕虜にする必要はない。汝の手に落ちるものは、汝らの意のままに扱うがよい。1000年前のフン族を従えたアッティラ王が、その名をいまだに世に残酷な響きでもって轟かせているように、ドイツの名を同じように1000年中国人に知らしめ、二度と舐めた真似ができないようにせよ!」

フン族とは、ゲルマン民族の大移動の原因にもなった匈奴の遊牧民族(諸説あり)で、フン族がヨーロッパを収奪したのと同様、ドイツもアジアを収奪する権利がある、ということです。

義和団事件

義和団事件

上述したように、おそらくヴィルヘルム2世は己の思想に酔っていました。この演説にも垣間見えるように、野蛮なアジアを支配し、文明化させることが我々正義の白人国家の使命である、と。また、ニコライ2世もだんだん教唆されていきます。ロシアとドイツは、ここにおいて完全にアジア人を見下すようになり、義和団事件でも率先して中国人を迫害します。

一方で、イギリスはこのヴィルヘルム2世の動きを冷ややかに見ます。この時点での本当の敵は、アジア人ではなく急激に勢力を拡大しているロシアとドイツであることを見抜いていました。よって、ドイツの言う「白人国家みんなで仲良くアジアを分割しよう」という虫のいい話には耳を貸しません。

逆に、イギリスは、この国家を鼓舞するためのヴィルヘルム2世の「フン族演説」の暴力的な表現を逆手にとって、ドイツ人は暴力的で残酷な国家であることの宣伝をするようになります。結局、ヴィルヘルム2世の仕立て上げた黄禍論の泥船に乗ったのはニコライ2世だけでした。

義和団事件後、ロシアと日本を含む八か国連合に徹底的に痛めつけられた中国では、欧米列強による分割が進み、ロシアは満州を占領、撤退せずに日本との間に緊張が走ります。そして、このままロシアが東アジアの覇権を握れば、ストーリーはヴィルヘルム2世の筋書き通りでした。アジアはロシアを含めた欧米列強に分割され、彼の望むドイツ・ロシアにとってのハッピーエンドの到来です。

しかし、そのためには最後に克服しなくてはいけない障害があります。いまだ列強から独立を守り抜く島国、大日本帝国と、それを援助する世界の海上の覇者、大イギリス帝国です。1904年、各国の思惑が交錯する中、東アジアの覇権をかけた日露戦争が勃発しました。