Es ist komisch, wenn man sich das überlegt, färht Kropp fort, wir sind doch hier, um unser Vaterland zu verteidigen. Aber die Franzosen sind doch auch da, um ihr Vaterland zu verteidigen. Wer hat nun recht? Erich Maria Remarques, Im Westen nichts Neues
「そいつはおかしい…我々はここにいる、祖国を守るために。ところがフランス人共もそこにいる、我々と同じように彼らの祖国を守るため。いったい誰が正義なんだい?」 西部戦線異状なし(ラマルク)
マルヌ会戦以降、ドーバー海峡からスイス国境まで掘り進められた塹壕によって、西部戦線は硬直化します。そんな中、両陣営は戦況の打破をはかり、様々な新兵器を使用し始めます。
スポンサーリンク
泥沼の塹壕戦と新兵器の投入
もともと、塹壕による防御は古くからおこなわれていた古典的な戦術ですが、機関銃が登場するにいたって、塹壕は戦略的価値を一変させます。塹壕+機関銃の防御網は、歩兵には突破できない、できたとしても甚大な被害をようするため、防御側が圧倒的に有利な状況になり、お互いに手出しできない戦況に陥ってしまったのです。
これを突破する唯一の手段は、塹壕がまだ張り巡らされていない地点まで兵を迂回させる必要がありましたが、すでに序盤の硬直により、両軍とも海からスイスまで到達する長い長い塹壕線を形成したことにより、迂回すらも不可能になりました。
塹壕とは、兵士がスコップで掘っただけの簡単なもので、雨が降れば泥水が溜まりますし、糞尿の排水なども整備されていません。この状況下で、病気が蔓延したことは想像に難くないでしょう。またこの不衛生な環境は、多くの後遺症などを兵士にもたらしたとも言われています。
こんな状況を打開すべく、両軍は工夫を凝らします。ドイツ軍は毒ガスの使用を開始、塩素系ガスによって相手を殺傷せしめるべく、風上から毒を散布します。これによって、一時的にイギリス・フランス軍はパニックに陥りますが、のちにガスマスクを支給することで解決します(のちにドイツ軍は皮膚から作用するマスタードガスを使用、現場は凄惨な状況に陥りました)。
イギリス軍は偵察用に飛行機を実践投入しますが、ドイツ軍がのちに戦闘機を導入し、イギリス側の偵察機を駆逐したことから、この戦術もうまくいかなくなりました。
フランス・イギリス連合軍は1915年秋にドイツ軍に対し攻勢をしかけますも、広大な敷地に張り巡らされた縦深陣地を突破できず、兵力を損耗するだけに終わりました。
こんなように、ドイツvsフランス・イギリス連合の間では、いたちごっこのようにいろいろな工夫がなされたものの、根本的な戦況の打破には至らず、無意味に時間だけが流れていきます。
ファルケンハインとヴェルダンの戦い
ドイツ軍には、ファルケンハインという参謀総長がいました。彼は、逃げるように辞任した小モルトケの後任です。ファルケンハインはシュリ―フェン・プランが大戦序盤に頓挫したことから、これ以上戦争を長引かせてもドイツにとって無益だと、早期講和を画策しますが、他の参謀たちに軟弱だと一蹴されます。
彼の眼はあくまで「どのように戦争を終わらせるか」に向けられています。この早期講和プランが一蹴された以上、彼は別のプランを考える必要がありました。そして、結果彼のたどり着いた答えは「防御陣地の突破は難しい。ならば、突破しなくてもいいので、たくさん多くのフランス人を殺すことに終始しよう」という実に冷血な、そしてドイツ人らしい理にかなった作戦です。
戦いの目的は、基本的には「相手の拠点を奪う」ことです。そのために、相手の兵士を減滅すること、が手段になるのですが、今度は「相手の兵士をできるだけ多く殺すこと」が目的になります。そうすれば、フランスは音を上げて戦争を離脱するだろう、と。つまり、ファルケンハインは、兵士にとってもっとも避けてほしい「消耗戦」という悪魔のような作戦を選択するのです。
(ちなみに、ドイツの大学で教授の話を聞いていると、似たように「合理的だが血も涙もない」ビジネスプランをたびたび目にします。彼らは良き父親であり、あるいは良き友人でもあるのですが、こと仕事のことに限ると、途端に冷血な合理主義者になるきらいがある気がします)
そのような血で血を洗うような消耗戦を強いたので、ファルケンハインには「ヴェルダンの血液ポンプ」「ヴェルダンの骨ミキサー」(Blutpumpe oder Knochenmühle)というありがたくない異名がつけられています。彼に関する手記などを読む限り、ファルケンハインは別に冷血漢ではありませんが、合理的に考え、ドイツが戦争に勝つにはフランス人(とドイツ人)の出血が必要だと結論付けたのです。
“Die Menschheit ist verrückt geworden. Was für ein Massaker! Dieser Horror, dieses Gemetzel. Ich finde keine Worte, um meine Eindrücke wiederzugeben”
「人間はこうも狂気になりさがった。なんて大量殺人だ!この戦慄、虐殺、僕にはこの感情を表すための言葉が見当たらない。」
例えばこれはヴェルダンの戦いに従軍したフランスの一兵卒の日記でそうで、彼はこの日記の一週間後に、わずか20歳にして戦死しています。このように、ファルケンハインの目論見通りフランス軍はパタパタと死んでいきますが、そのためにドイツ軍の払った代償もまた、少なくないものでした。
ソンムの戦い
ヴェルダンの戦いは、1916年2月から12月まで続き、両軍の兵士の血がまさに血液ポンプに吸われているかのように脈々と流れ続けます。そんな中、別の方面では、イギリス主導によるドイツ軍に対する大々的な攻勢が計画されていました。
Das Inferno beginnt am 24. Juni 1916. Aus über 1500 Geschützen eröffnen Briten und Franzosen das Feuer auf die deutschen Stellungen am Fluss Somme in der Picardie, einer Region im Norden Frankreichs.
「地獄は、1916年6月24日に始まった。イギリスとフランスの1500の火砲がフランス北部のピカルディ地区ソンム川近くに陣を構えるドイツ軍に対して火を噴いた。」
1916年7月に勃発するソンムの戦いです。この戦いでは、初めてイギリス軍の戦車が実践投入されています。イギリス・フランス軍は上述のように、事前にドイツ陣に大砲の雨を降らせ、防御力を低下させたうえで攻撃に乗り出す作戦でした。
ところが、思ったよりも事前攻撃の成果があがっていなかったようで、わりと健在なドイツ軍によって前線の歩兵がばたばたと殺されていきます。当時の状況は以下のように語られています。
“Ich sah mich um und war allein.” Wie “geschnittene Maiskolben zur Erntezeit” hätten die Toten gelegen, berichtete ein Beobachter über das Gemetzel, bei dem auch die Männer anderer “Pals Battalions” wortwörtlich reihenweise starben.
「“私は辺りを見渡したが、立っているのは私だけだった“, „まるで刈り取られたトウモロコシのように“、死体が散乱していたと、当時の従軍兵がこの惨劇を語っている。そして、他の大隊たちも同様に、文字通り無言でばたばた殺戮されていった」
また、フランス軍の中にも、ドイツ軍のファルケンハインのような、前線の兵士にとって嬉しくない上官がいました。マルヌ会戦で活躍した後のフランス元帥、フェルディナン・フォッシュです。
ファルケンハイン同様、彼も後世の評価が分かれる人物で、とにかく彼は兵士に出血を強いります。
My centre is yielding. My right is retreating. Situation excellent. I am attacking
「わが軍の中央は崩れ、右翼は押されている。(撤退は不可能)。状況は最高だ、これより反撃に転ずる」
という彼の言葉に、その無茶ぶりが表れています。彼の戦争論はどちらかというと大日本帝国のような精神論に裏打ちされたもので、彼のせいでフランスの若い兵士がバタバタと死んでしまい、フランスの失った人口は第二次世界大戦まで尾を引いたとも言われています。
とりあえず、そんなイギリス軍の新兵器と、フランスの無茶な突撃により、ソンムの戦いで連合軍は11kmだけ前進することに成功しますが、そのためにはあまりに甚大な被害を出しており、フォッシュは解任され、イタリア戦線に送られました。
結局そのように、1914年から1917年にかけて西部戦線で塹壕を挟んで1~2km前進したり後退したりしている間に、東部戦線では大戦の趨勢を根本から揺るがしかねない大事件が勃発することとなります。1917年、ロシア革命の発生です。