時代の先端を行くドイツの近代美術の歴史:ロマン、印象派、現代美術

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いよいよ美術館巡りも佳境に入ります。栄光のルネサンス時代ののち、西洋芸術はバロック、ロココ、といった華やかな時代を経験します。

バロックは荘厳、ロココは優美と対比されることが多いですが、この時代そうした美術を反映するように、時代もまた、激しく移り変わっていきました。

18世紀はフランス、ルイ15世の統治の下でまさに華やかな時代であり、ドイツもまた、国土の大半が消耗した30年戦争を乗り切り、プロイセン国王フリードリヒの下で繁栄の時代を迎えようとしていました。

17世紀ごろ

17世紀ごろ

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近代芸術とその背景

さて、具体的に何年から、という明確な指標はありませんが18世紀末~19世紀以降を時代の区切りとして『近代美術』と呼ぶような形式が一般的です。

この18世紀末という時代には何があったのかというと、フランスのナポレオンがヨーロッパ全土を席巻し、そこからヨーロッパ各国にナショナリズムが台頭し始めた時代の転換期です。

また、思想上、政治上の発見も多くこの時代に生み出されました。

1781年にはカントの『純粋理性批判』が、1807年にはヘーゲルの『精神現象学』が発表されており、他にも、ゲーテ、アダムスミス、ジャンジャックルソー、ベルヌーイ、オイラーなど、歴史上の名だたる思想家たちがこの時代に名を連ねています。

こうした思想の台頭は、同時にかつての『神に守られた世界』からの脱却を意味していました。カントの理性批判を皮切りに、ドイツ形而上学の扉が開いたのです。

ドイツの近代芸術

ドイツの近代芸術

ロマン主義の台頭

このキリスト教的土壌から脱却するうえで、芸術的に大きな意味をもたらしたものが『ロマン主義』でした。

もっとも、絵画よりも先に文学のほうでこの個人崇拝、自我の認識などに重点をおいた『ロマン主義』は普及していくことになります。

フランスでは、『ラ・ミゼラブル』で有名なヴィクトル・ユゴーや『赤と黒』のスタンダール、ドイツではゲーテやシラーなどによってこの『ロマン主義』の潮流が拡大されていきます。

美術館の解説

美術館の解説

『文学上のロマン主義は19世紀の初めには、絵画にも少なからず影響を与えた。それはすなわち、風景に自己の意識や感情を投影させる、という手法によってである。同時に、イタリアへの一般大衆の関心も高まっていった。きらびやかな色彩と建築に満ちた国、といったイメージである。この情熱はほぼ一世紀の間続くこととなった。田舎の風景画と、工業施設の絵画は意外なコントラストを生んだ。画家たちは、特に西ドイツの工業地帯や、ルールやシーグ川などを好んで描いた。』

ロマン主義とは様々な解釈があるので一概には語れませんが『主観』な事物の見方の表れ、だと個人的には認識しています。

つまり、今までキリスト教によって教えられてきた「一枚岩の世界」など存在せず、この世は不条理に満ちた、ばらばらのものであると、哲学的な思想によって多くもたらされたことによる一種の反動のようなものだったのです。

こうした『ロマン主義』的な反映は、今までは普遍的なものだととらえられていた『風景画』の世界にも侵入してきます。

ロマン主義の風景画

ロマン主義の風景画

また、こうしたロマン主義の流れが、のちに『写実主義』という新たな流派を生み出すこととなります。

写実主義から映写機の登場

写実主義の扉を開いたのはクールベというフランスの画家ですす。

Das 1849/50 entstandene “Begräbnis von Ornans” zeigt über fünfzig Trauergäste vor einem ausgehobenen Grab. (引用:Kammerlohr Epochen der Kunst 4)

『(クールベによって)1849/1850年に発表された”オルナンの埋葬”は掘り出された土葬場の前の50人もの弔問客を描いたものであった』

これをクールベは『歴史画』と言い張りましたが、批評家たちはこれを酷評します。絵画とは、彼らにとって美しいもの、偉大なものを描写したものであって、こうした市民のとるにたらない営みを『歴史画』と言い張るクールベは非難を浴びたのです。

写実主義(realism)とは、現実を理想化することなく、ありのままを描き出す技法です。クールベは先を行きすぎましたが、その後多くの画家はもちろん、小説家ではフランスのフロベールやゾラ、ドイツのケラー、ヘッベルによって追随されました。

写実派について書かれた本

オルナンの埋葬

写実主義はのちに多くの芸術家に影響を与えましたが、美術における写実主義自体は、19世紀後半にカメラが登場したことにより徐々に廃れていきます。その後は、世界を客観的なものとしてよりも、自身のレンズを通してみたものとして描き出す方向へシフトしていくのです。

印象派から象徴主義・現代美術へ

19世紀後半は、あらゆるものの価値が転倒した時期でもありました。1866年には普奥戦争が勃発し、1871年にはドイツ帝国が誕生します。威光をほこったオスマントルコは衰えていき、時代は西ヨーロッパのものになりつつありました。

1866年に普墺戦争が勃発します。かつてナポレオンがヨーロッパ諸国を侵略したことによって各地にナショナリズムが芽生え、統一の機運が高まったことが一つの原因とされています

既存のものとされてきた概念が終わりをつげ、ヨーロッパに混沌とした時代が到来しました。美の価値もまた、何世紀にもわたって築かれてきた固定のものから、徐々にその姿を変容させていきます。

すでに客観的なものの見方から、人々は『内面的』『空想的』『真実の』世界を描き出すことに夢中になりました。抽象画、といわれるものが台頭しはじめるのはこのころからです。

印象派は主に点や光によって、世界の新しい描き方を見つけます。次いでゴーギャンゴッホなど、印象派というものではくくれないような画家たちが登場し、さらに既存の価値観の破壊につとめるようになります。

19世紀前半の絵画

19世紀前半の絵画

19世紀も終わりに差し掛かると、フランスの文学上の影響を受けて『象徴主義』や退廃的な『世紀末芸術』が登場します。詩の世界ではヴェルレーヌやボードレールが有名です。

その動きはクリムトを筆頭とするウィーン分離派で特に顕著でしたが、ドイツもまた、激動の時代を経て、多くの芸術家を生み出すようになりました。

19世紀の画家August Macke

19世紀の画家August Macke

20世紀初頭、フロイトの無意識の影響を受けたシュールレアリズムや、現象学の影響を受けた芸術が台頭しはじめます。

彼が現代思想に持ち込んだものは平たくいうと『無意識』の発見です

人間の無意識に根差したものを世に表そうという動きは、やがて廃れていきますが、こうした芸術上のいくつかの大きな動きと、世界大戦という歴史的な影響を大きく受けて、わずか半世紀たらずの間に絵画の構図はがらりと変わったものになります。

ポストモダン芸術

ポストモダン芸術

ピカソやカンディンスキーに代表される抽象画、キュビスムなど近代芸術の潮流はみな、こうして堆積されていった西洋芸術の最後の仕上げでした。ことここに及んで、芸術とはなにかという哲学的な問いが、ウォーホルのように問われるようにさえなってきます。

ドイツの抽象画

ドイツの抽象画

知識のうえではこうした美術史は知っていますが、以下の写真のような現代美術のはたしてどこまでが美なのか、という疑問は残ります。今回訪れた美術館は、規模としては大きなものでしたが、それでも西洋の美術史を全て物語るためにはそれでもまだまだ足りません。

特に印象派以降の絵画、近代芸術の潮流の知識は、ドイツ滞在中に様々な美術館観賞と合わせて深めていっても面白いかもしれません(ルネサンス~後期印象派あたりまでは美術の主役はイタリアやフランスなので、ドイツの芸術が面白いのは近代にはいってからですが)。

これも美術館の展示品です

これも美術館の展示品です

それでは、長くなりましたがこの辺で美術館のまとめを終了します。

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