ドイツ発祥の賃貸農園:シュレーバーガーデンの歴史をみてみよう


現在、ドイツ国内には花や果物などが植えられた賃貸農園が数多く設けられています。

これは、自宅の庭ではなく、郊外などに庭を年間をとおして賃貸しておき、そこで野菜を育てたり、バーベキューをしたりする仕組みです。

ドイツの人口は7000万人弱ですが、ドイツ国内にはおよそ100万件近い賃貸農園が設けられています(年間2~3万円で済むので大分安いようです)。

南部に比べると、物価が高く、かつて工業地帯の多かった北部に農園は多いようで、ライプチヒでは住民の7~8パーセントが農園を借りている統計になります。

こうした賃貸農園のことを、医者であり教師でもあったシュレーバー博士の名をとって『Schrebergarten(シュレーバー農園)』と名付けられていますが、実際にはシュレーバー博士はこの『schrebergarten』の設立には関与していません

興味深いので、設立の経緯とその理由をみていきましょう。

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賃貸農園のおこり

最初の賃貸農園は1814年におこりました。なので2014年はちょうど200周年ということのようで、記事にもなっています。

Am 28. April 1814 wird der erste Pachtvertrag für Parzellen auf einer Pastoratskoppel in der Kleinstadt Kappeln im heutigen Kreis Schleswig-Flensburg unterzeichnet. Der Kleingärtnerverein Kappeln gilt als ältester in Europa.

参照元:200 Jahre Kleingartenverein: Grüne Idylle, akkurat parzelliert – Reutlinger General-Anzeiger – Region Reutlingen – Reutlingen

『1814年4月28日、今日のフレンスブルグ(ドイツ北部)周辺に当たるKappelという田舎町の一角で、賃貸農園に対するはじめの契約が結ばれた。このKappelの「クラインガルテン協会」は、ヨーロッパで最初の賃貸農園協会である』

ちなみに、この名付け親のシュレーバー博士はなにもこの件については関与していません。そもそも、彼はライプチヒの出身ですし、生まれは1808年です。

Und nein, Schreber war nicht der Erste mit einem Kleingarten. Das muss mal klargestellt werden. Moritz Schreber (1808–1861) aus Leipzig hat nämlich mit Schrebergärten ziemlich wenig zu tun.

参照元:200 Jahre Kleingartenverein: Grüne Idylle, akkurat parzelliert – Reutlinger General-Anzeiger – Region Reutlingen – Reutlingen

『シュレーバー博士は生憎そこには居合わせていなかった。これは明確にされる必要がある。ライプチヒ出身のシュレーバー博士は、いうなればシュレーバー農園の設立にはなんら携わっていないのだ』

では、なぜゆえ『シュレーバー農園』などといったような名前がついているのでしょうか?

シュレーバー博士と賃貸農園

18世紀後半~19世紀前半は、世界の産業水準が著しく発展した、まさに産業発展の期間でした。

1700年代後半に、紡績機、蒸気機関車、自動車などが誕生したのがちょうどこのころで、以降西洋各国は近代化に向かってつきすすみます。

しかし、急速な産業革命と工業化は同時に、深刻な環境問題を招きます。19世紀前半からドイツではルール工業地帯で大規模な石炭の発掘がはじまり、各地に工場が建設されましたが、廉価な石炭の使用は大気汚染をまねきました。

大気汚染

空は工業の排気ガスによって覆われ、たくさんとれていた野菜や果物が育たないようになります。子供たちの多くは肺を病むようになり、次第に外へもでなくなっていきました。

空は暗く、野菜や果物がなかなかそうした環境下で育たなくなります。子供たちは外で遊ばないようになり、ひとつの社会問題になりました。

こうした中、ライプチヒで教鞭をとっていたシュレーバー博士は、同時に医者でもあり、当時の子供たちの発育を案じていました。現代で知られているシュレーバー博士の功績は、主にこうした年少者の発育の研究です。

そして、シュレーバー農園の名前が出てくるのはシュレーバー博士の死後です。シュレーバー博士の死後には、彼の大学の弟子がシュレーバーの学説をもとに、学校のPTA協会に子供たちの遊び場をつくることを要求します。

このとき『シュレーバー協会』たるものがPTAの中で発足し、それが資金を出して子供たちの遊び場を借りることにしたのです。この公園も彼の名にちなんで『シュレーバー公園』と名付けられます。

この時点で、すでに当のシュレーバー博士からは少し縁のないもののように思えるのですが、結局この『シュレーバー公園』が、現在いわれている『シュレーバー農園』の原型になります。

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例えば、上記のように野菜を栽培している一般家庭もあり、それを料理などに使うことも珍しくありません。特に、ドイツは現在食に対する安全に関しては大分シビアになっているので、自衛のためにもこうして自分で野菜を栽培することがいいのです。

今日、シュレーバー農園はドイツのいたるところで見ることができます。小さなスペースに小屋などが建てられており、天気の良い日などには家族で日光浴をしたり、果物を栽培している姿が見受けられます。

これはドイツだけでなく、現在ヨーロッパ各地に点在していますが、ほとんどのヨーロッパ人が『シュレーバーさんが開発した農園』だと思っているのが興味深いところです。