震災後の日本で見た騎士道魂:私がドイツ留学を選んだもう一つの理由

以前、ブログのどこかで私がドイツを留学先として選んだ理由をまとめたと思います。英語圏に比べて安上がりですし、経済的にも安定している、仕事上で知り合いがいた、というのがメインの理由でした。

実は、そこでは端折りましたが、そうした経済的な理由に加えてもう一つ、ドイツとのある出来事が私の進路に少なからず影響を与えたことを、ここで書いておこうと思います。

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震災後の日本に来たドイツ人

今から6年前、私がまだ日本でサラリーマンをやっていたころ、日本全土を揺るがす大事件が勃発しました。2011年3月11日、東日本大震災です。

私の仕事は営業でしたが、それからというもの、職場は数週間にわたり、混乱を極めていました。仕事先だけではありません、日本全体が、あの震災と津波、そしてそれによってもたらされた原発事故によって、恐怖と混乱のムードに満ちていたと思います。

そのころ私の自宅の近くに、雰囲気の良い外国系のバーがありました。若手社員だった私は、震災前からちょいちょいそこへ通い、仕事の帰りにビールなどを飲んでいたのですが、震災後は、めっきり外国人の姿を見かけなくなりました。

それもそのはずで、あの大震災の一件での在日外国人の怯え方は、日本人以上に相当なものでした。ある外国人男性は、日本人女性の愛人を連れて沖縄へ逃げました。ある外国人は、仕事をほっぽり出して故郷へ帰国しました。

皆口々に「君も日本を離れたほうがいい」と言いますが、そんな無責任なこと、仕事もあるのにできるわけありません。そんな混乱を見かね、ゴールドマンサックスの社長は「東京から逃げたやつは首だ」といって直々に檄を飛ばすような混沌とした状況でした。

と、いうわけで、その外国系の小洒落たバーも、麻布や六本木界隈も、普段なら外国人でにぎわっていたのですが、震災以降閑古鳥がないている状況でした。私も仕事が忙しく、中々そこへ行けない状況でしたが、たまに時間を見つけて、帰り際に立ち寄っていました。

さて、そんなある夜、珍しくそのバーに外国人の団体客が訪れました。年齢は50歳~60歳くらいで、とても観光に来たようには見えませんが、どこか生き生きとした顔をしていました。

私は気になったので、彼らに声をかけてみました。聞くと、どうやら彼らはドイツのエンジニアの、有志ボランティア団体で、これから福島原発に向かうところのようでした。「若い人々がそんな危険なところに行く必要はない、我々が行ってやる」と、ビールを片手に口にしていました。日本人ですら近づきたくない福島近辺に、ドイツ人である彼らが有休をとってはるばる日本まで来て、どうにか解決のためにひと肌脱いでやろう、というのです。

私はなんとなくほっこりしたので、彼らにビールを奢ってやりたいと思い、店長に彼らの会計はいくらかこっそり尋ねました。すると、店長は「彼らから金はとれない、タダだ」と私に耳打ちしました。

外国人客がメインのお店でしたので、震災後、バーの売り上げは決してよかったわけではないと思います。震災に乗じて、値段を釣り上げたお店も、これを商機とばかりに儲けた会社もあるなかで、店長がこのような対応をしたのは、おそらく粋と呼ばれる心意気からでしょう。

さて、この一件きり、私はこのドイツ人ボランティアたちをバーで見かけることはありませんでした。すぐに福島に向かったのでしょう。名前も知りませんし、どこで働いているのかも知りません。顔も覚えていないので、ドイツですれ違ってももう思い出せないでしょう。

さて、それから時が流れ、私も職場の勝手に慣れてきました。2013年、私は職場を辞してドイツに留学のためにやってきます。留学先を決める際に、ドイツかフランスか、イギリスか、と考える中で、おそらく、最後に私の直感を突き動かしたのは、この震災の際のドイツ人たちとの出来事だったと思います。

人生には、おそらくたくさんの岐路があります。仮にこの夜、私がこのバーに立ち寄って、このドイツ人グループにあっていなければ、ドイツに対して特別な感情を抱くこともなかったでしょうし、私の留学先はフランスやイギリスになっていて、まったく別な運命が待ち受けていたかも知れません。

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