第一次世界大戦とドイツその8:連合軍の100日攻勢とドイツ革命

Was die deutsche Armee betrifft, so kann die allgemeine Ansicht in das Wort zusammengefasst werden: Sie wurde von der Zivilbevölkerung von hinten erdolcht

「ドイツ軍が遭遇した事態、いうなれば、彼らは市民によって背後から突き刺されたのだ」ノイエ・チュルヒャー新聞

春季攻勢に頓挫したドイツ軍には、これ以上連合軍に対して攻撃をかける余力は残されていませんでした。対して、ここまで体力を温存していた無傷のアメリカ軍が大量に欧州戦線に上陸してきます。

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連合軍の反撃

1918年7月ごろにはドイツ軍の攻勢は伸びきっており、この突出部に対しフランス軍はアメリカ軍とともに反撃を開始します。この連合軍の反撃を指揮するのは、フランスの猛将、フォッシュ将軍で、ドイツ軍に休む暇を与えずにフランス軍を突撃させ、攻勢には成功しますが、代わりにフランス歩兵もばたばた死んでいきます。

こうした連合軍の高い損害率にも関わらず、すでに疲弊しきったドイツ軍の前線部隊は破られていき、8月にはアミアンの戦いでドイツ軍は大敗を喫します。

ルーデンドルフはこの惨敗の様子を以下のように叙述します。

Der 8. August ist der schwarze Tag des deutschen Heeres in der Geschichte dieses Krieges

「8月8日は、この大戦におけるドイツ陸軍の暗黒の日だ」

この、8月8日から11月にかけての連合軍の怒涛の快進撃を「100日攻勢」といい、ドイツ軍は長年かけて奪い取った領土を次々と失陥していきます。しかし、連合軍の攻勢も長く続きませんでした、ドイツ軍の堅牢な防御線である「ヒンデンブルグ線」に到達すると、今度は連合軍が大量の出血を強いられます。

特に、ムーズ=アルゴンヌの戦いでは、20万人の連合軍が死傷しました。ヒンデンブルグ線はルーデンドルフが作り上げた連合軍に対する防御陣で、これを完全に突破するためには連合軍側には兵を損耗する覚悟が必要です。

The fighting during the Hundred Days was heavy and continuous, with Allied gains – particularly British and French – dependent upon a maturing tactical and operational system. Hard-fought victories, like those at Amiens and the Hindenburg Line, were the result of well-rehearsed logistical support, artillery dominance, air superiority, the employment of tanks (with mixed success), and more effective infantry tactics

http://encyclopedia.1914-1918-online.net/article/hundred_days_offensive

「100日攻勢の間、特にイギリス軍とフランス軍は間断なく猛攻を加え続けた。これは、成熟した戦略と、オペレーションシステムのたまものである。アミアンやヒンデンブルグ線のような激しい戦いの末の勝利には、訓練された補給線のサポート、砲撃による優位、制空権の確保、戦車の投入、そしてより効率的な歩兵戦術などが挙げられる」

ドイツ軍の粘り強い防御にも関わらず、ドイツの負けは明白でした。1918年9月から11月あたまにかけ、ブルガリア、オスマントルコ、オーストリアといったドイツの同盟国が相次いで戦線を離脱していき、11月にはドイツが孤軍奮闘している状況でした。それでも、屈強なドイツ軍は連合軍を相手に粘り続けるのですが、その頑張りにも終わりが近づいています。ドイツ革命の勃発です。

ヴィルヘルム2世

この、戦争末期にあってもヴィルヘルム2世はいまだに楽観的でした。ドイツ政府はアメリカとの停戦を画策しますが、「専制主義の廃止」を求めるアメリカとは停戦交渉は平行線をたどり続けます。ヴィルヘルム2世は、この期に及んでなお、退任の要求に応じませんでした。

アメリカは、ヴィルヘルム2世が退位することを停戦の条件にしているのに、ヴィルヘルム2世は頑として聞かないので、国民はだんだんイライラが募ってきます。挙句の果てに、ヴィルヘルム2世は、雲行きが怪しくなってくるとベルギーに移動します。事実上の亡命準備です。

第一次世界大戦の原因をどこまで遡るのかはその観点によってまちまちですが、この、ヴィルヘルム2世による世界政策と、ロシアやイギリスなど他の欧米列強との利害の衝突が、大きな役割を果たしたことは間違いないでしょう。

ヴィルヘルム2世

最大の敵国であったロシア帝国はすでに崩壊しました。ニコライ2世は名もない兵隊に銃殺され、ロシアには内戦の嵐が吹き荒れています。そのニコライ2世の従兄弟でもあるヴィルヘルム2世は、この時、この不運のロシア皇帝に自分の姿を照らし合わせ、革命による自身の処刑、という最悪のストーリーを思い描いたのでしょうか。

ともあれ、戦争終結の最後のカギを握るのは、この移り気なドイツ皇帝であることは間違いありませんでした。1918年11月、市民の不満が限界を迎える中、ついにドイツに革命がもたらされようとしていました。

ドイツ革命

発端は、ヴィルヘルムスハーフェンに駐屯していたドイツ兵に対し、ルーデンドルフらがイギリスに対し艦隊による出撃を命じたことです。この時期、すでに兵士の士気もありませんし、制海権を握るイギリス海軍に攻撃を下すなど、自殺行為です。

Im Oktober 1918 fanden mit den Entente-Staaten erste Vorgespräche über einen Waffenstillstand statt. Dennoch befahl die deutsche Seekriegsleitung das Auslaufen der Flotte zu einem letzten “ehrenvollen” Gefecht gegen britische Verbände. Dieser Befehl war Anlass zu Meutereien kriegsmüder Matrosen in Wilhelmshaven und Kiel.

「1918年10月には、最初の停戦条約の約束がなされていた。にもかかわらず、ドイツ海軍は、この出航はイギリス軍に対する最後の”栄誉ある”戦闘である、と命令する。この無茶な命令が、キールとヴィルヘルムスハーフェンにおける暴動事件の発端である」

これにより、抗命事件が勃発、一部の兵士がキール港に投獄されると、この釈放を唱えて多くの水兵や労働者が暴動をおこします。この運動はドイツ中に広がっていき、ついに対処のしようのない状況に陥っていきました。

ヴィルヘルムスハ―フェンの暴動

http://encyclopedia.1914-1918-online.net/article/hundred_days_offensive

さらに、南ドイツはバイエルンでも革命が勃発します。もともと南ドイツは、プロイセンによって統一される前は分離した地域で、主義も思想も異なるため、プロイセンのわがままに付き合って戦争に巻き込まれた、という意識が戦争当時からありました。このバイエルン革命は、のちのナチスの台頭に繋がっていきます。

というわけで、ドイツ中でこうした反乱がおき初め、西からはアメリカが迫っている状況です。もはや、降伏は避けられない状況にあります。しかし、その時のドイツ宰相、マクシミリアンがベルギーにいるヴィルヘルム2世に電話で退位を求めるも、ヴィルヘルム2世はこの期におよんでなお首を縦に振りません。

マクシミリアンはとうとう最終手段として、独断で「ヴィルヘルム2世が退位を自ら申し出た」と公言し、戦争を終わらせます。ヴィルヘルム2世は怒りに震えながらオランダに亡命しました。

これにより、事実上ドイツ軍は戦争継続能力を失いました。4年間にわたって続いた第一次世界大戦が終結した瞬間です。1918年11月11日、コンピエーニュの森で、ドイツ軍はついに休戦のサインを行い、全ての軍事行動が終結しました。また、この日オーストリア=ハンガリー帝国のカール1世が退位し、オーストリア=ハンガリー二重帝国はこの世から消滅しています。

コンピエーニュの森の休戦

のちに、1000万人の死者を出した第一次世界大戦は、すべてを終わらせる戦争(the war to end wars)と呼ばれることになります。誰かが当時、本当にそんなことを考えたのでしょうか。

第一次世界大戦は、世界のパワーバランスのいびつな歪みがもたらした戦争ですが、その歪みは、第一次世界大戦後には一層拡大することとなります。敗戦国として、ドイツには天文学的な額の賠償金が科せられ、大きく領土を割譲されます。ロシアでは帝政が打ち破られ、ソビエトが樹立、のちのシベリア出兵を招きます。太平洋戦線では、日本がどさくさに紛れて対華二十一か条の要求を突き付け、アメリカとの対立を拡大させます。

第一次世界大戦の結果、バルカン半島の火薬は片付きましたが、こうして世界中にちりばめられた新たな火薬は、20年後、第二次世界大戦の到来によって、一斉に炸裂することとなります。「すべてを終わらせる」はずの戦争は、新たな地獄の幕開けに過ぎなかったのです。

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