ドイツ選挙に見るAfDの躍進:ドイツは右傾化したか?

ヨーロッパに長らく住んでいると、いいことも享受できる反面、悪い面も少なからず見えてきます。難民問題しかり、それに付随して起きる差別や排斥問題など、表面上は経済大国として穏やかさを保っているようにみえるドイツですが、その内情は一枚岩ではありません。

この度、9月の選挙に当たってメルケル率いる与党は政権を保持しましたが、同時に「AfD(ドイツのための選択肢)」という反難民を掲げる政党の台頭を許しました。前回の選挙では得票率5%を下回っていた彼らが、今回は12.6%という得票率を得て、第三党に躍り出る結果となりました。

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ドイツと安定政治:なぜ右翼は否定されるのか

まず、戦後のドイツの政権構造から簡単に見ていきましょう。ドイツとヨーロッパに大きな厄災をもたらしたナチス党の台頭は、ワイマール体制下、とくに世界大恐慌後のドイツの混沌から発生しました。トロッキーが名状するように、ナチスへの熱狂は1700万人のドイツ人の絶望と不可分です。

Hitler’s movement has been lifted to victory by 17,000,000 desperate people

「ヒトラーへの熱狂は、絶望に駆られた1700万人の大衆によって巻き起こされたものだ」by トロッキー

当時の政権の不安定さがナチスの台頭をもたらしました。ナチスは戦争をもたらしました。これは当時の生き証人たちの脳裏に深く焼き付いています。その結果として、彼らの国は敗戦し、焼かれ、多くの人が死に、暴行され、家を失いました。

「彼らはヒトラー政権下のナチス党のようだ」と彼は話す。「私は1939年生まれで、戦争孤児でした。私は廃墟の中で育ちましたが、再びこんな状態だ。彼らは犯罪者です。私は常にCDUに投票してきたし、アンゲラ・メルケルに(首相を)やってほしいと思っている」

例えば、日本語のサイトで上述のようなコメントを見つけました。AfDの台頭をみてこのように証言する人もいます。彼らの中で「右翼」→「戦争」→「悲惨な敗戦」ですので、排斥的、差別的、軍国的、という響きはなにか彼らにとって、再び悲惨な未来をもたらすように思えてなりません。

というわけで、軍国主義の台頭→悲惨な焼野原、の再来を防ぐために、戦後のドイツでは長期安定政権を保持する試みが70年以上おこなわれてきました。その最たる例は、5%阻止条項と呼ばれるもので、雨後の筍のような政党の濫立を防ぐため、得票率5%以下の政党には議席配分が行われない、という法律がドイツには存在します。この甲斐あって、戦後のドイツにはたった8人しか首相が存在しません。基本的に安定した政権が求められているのです。

難民の流入と非常事態:ドイツの安定志向は変わったか?

さて、戦前のドイツ政権の混乱は、ワイマール体制下の経済的、社会的混乱によってもたらされました。昨今、EUでは難民問題が国家の屋台骨を揺るがせる大問題となっています。実際に、メルケル率いる与党は前回と比べて65議席も失っています。その票は94席も新たに議席を獲得した上述のAfDに流れました。

トランプの大統領就任やイギリスのEU脱退を見てわかるように、人間は必ずしも合理的に動くとは限りません。中には「多少産業に悪影響があろうが、周りから難民や移民が消えてほしい」と望む人がいてもおかしくはありません。人には人の幸福の定義があります。

それでは、これはナチスのような極右派の台頭の再来となるのでしょうか。私は別に政治の専門家でもなんでもないので詳しくは分かりませんが、確率的にゼロではないが、限りなくゼロに近い、と思います。

まず、12パーセントの得票率を獲得したところで、依然として第一党である与党には及びませんし、メルケルの性格上、AfDの意見や極端な移民排斥の意見が政治に反映されるとは考えにくいです。

Echte Opposition ist nur mit der AfD in Sicht. Das linksliberale Lager mag das als “rechtsradikal” bezeichnen, AfD-Wähler als “Nazis” verunglimpfen und weiterhin Attacken führen. Die Wahlentscheidung steht und führt hoffentlich zu einem ansehnlichen zweistelligen Ergebnis. Die “Volksparteien” müssen Gegenwind erfahren.

「ドイツで真の野党と呼べるのはAfDだけだ。リベラル派は彼らに極右派やナチスのレッテルを張りたいようだが、今回の選挙で彼らが2ケタ得票率を得て、メルケルらにとっての向かい風となってもらいたい。」

例えば、これは(選挙前の)ドイツ人のコメントです。AfDの政策に心から賛同、というよりは、メルケルらにとっての「いいお薬」「抑止力」になってほしいという考えから、彼らに投票した層も少なくありません。

Es wird genug Bürger geben, die alle Fragen verneinen und trotzdem AfD wählen. Weil die mit der Einheitspartei CDU/SPD unzufrieden sind und auch FDP, Grüne und LINKE nicht mögen.

「別にこれらの質問に賛成しなくとも(AfDに関するアンケート調査)、AfDに投票する人はいるはずだ。だって他の政党が頼りないのだから」

日本でも自民党から民主党に政権が交代した時に似たような現象が起きました。自民党に対するいいお薬だとして、多くの票が民主党に流れ、最終的に自民党のほうがまだましだ、ということで再び自民党に政権が戻りました。

ドイツで右翼と呼ばれる人の数が増えているとは思えませんが、メルケルや与党に失望した人が増え、それがこのような得票結果につながった、とみるのが妥当なところでしょう。メルケルさんは首相でいてくれて構わないが、過度な難民政策はやめてほしい、という層がAfDに投票したのだと私は思っています。

参考記事:http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/bundestagswahl-2017-sieben-gruende-afd-zu-waehlen-aber-treffen-sie-auf-sie-zu-a-1169258.html

幸せな生活を求めて:国民にとっての幸福とは何か

さて、ここからは私の意見になります。右翼と呼ばれる人も、左翼と呼ばれる人も、基本的には「(国民の)日々の生活の幸せ」を求めて生活をし、あるいは政治活動をおこなっているはずです。

ところが、人の幸福なんて人によるとしか言いようがありません。いい家に住みたい人、お金よりも仕事と社会への貢献が重要だと考える人、平穏に暮らしたい人、他人を思いやってこそ幸せだと考える人、などなど。だからこそ政治は国民の幸福の最大公約数である、とよく言われています。

幸福への問いを突き詰めると、それは経済や政治学を離れた、もっと哲学や心理学の領域に踏み込むことにもなります。命を賭してでも己の信念を貫くべきだ、自分が傷ついても他人を助けるべきだ、貧困で死ぬくらいなら戦争が起きたほうがましだ、と人々がそれぞれの信条に基づいてそれぞれの主義を唱えたとて、別に誰が責められましょう。

それはもはやヒューマニズムへの問いへ行きつきます。つまり、生きているだけでは人間とは言えず、真に人間らしい振る舞いをすべきだ、と。行き過ぎた博愛主義者や過激な共産主義者のもたらす赤色テロも、結局のところ、「隣人を愛してこそ人間である」というレヴィナス的な考えや、革命を起こしてこそ人類の進歩である、というマルクス原理主義的なヒューマニズムにのっとっての行動ですので、それはそれで(巻き込まれたくはないにせよ)、そういう人が存在することの理解はできます。

日本にも「北朝鮮が攻めてきたら酒を飲んで和解する」という学生団体がいましたが、戦術的には愚の骨頂だとしても、人にはそれぞれの倫理観がありますし、まあ、そういう考えもあるのでしょう、私には賛同できませんが。

つまるところ、ゲーム理論の示す通り、人間は合理的には動きません。己が損をしても、敵が得をするくらいなら、平気で非合理的な道を選びます。好例は、「自身の生活の水準が人間らしく」なくなると尊厳を求めて暴走する人たちです。テロリストは悪の代名詞のようにとらわれますが、迫害された少数民族や植民地の人々は、こうした行為以外に己の尊厳を示す方法が往々にしてないこともまた事実です。

世界大恐慌後のドイツと日本で、自国民の誇りと人間らしい生活を求めて軍部が暴走したのは悲しいことですが、人間の感情を考えると十分起こりえることです。

さて、ドイツの現在の状況はどうでしょう。以前もどこかで書きましたが、ドイツでは若い時期にすでに大学進学組と職人組とで人生が選別されます。彼らの生涯年収は2倍近く開きがあります。果たして、後者のグループは我々のような「海外から来たエリート組」をどのように思っているのでしょうか。

アジア人や黒人が自分たちよりもいい車に乗り、いい家に住み、女を連れ、涼しいオフィスで仕事をしていることに対して、どう思っているでしょうか?難民が毎月自分たちの税金から補助金をもらい、暴行事件をおかしたり車に乗って旅行していると知ったらどう思うでしょうか。

ドイツの大学院生とビールを飲みに行くのと、サッカーの試合終了後にドルトムント近くの居酒屋に飲みに行くのとでは、まったく違った雰囲気が味わえます。後者の場合、アジア人だという理由でヤジや罵声を浴びることも多々あります。社会に不満を持つ人々が社会の多数派になってしまうと、理論では抑えられない暴走がはじまります。

私は、差別はどこでも起こりえることだと思います。人間は人を妬まずにいるほど強い存在ではありませんし、心理学的にもその矛先は自分と異質なものに対して向けられると言われています。多分、彼らの不満の源泉を理解せずに、差別問題を解消することは不可能でしょう。

なので、私は、右翼政党に投票する人は危ういとは思いますが、同時にある意味人間らしいと思います。逆に、「右翼政党に投票する人を全く理解できない」、と平気で言ってのける人はもっと危うい存在だと思います。