サムライは人気?ドイツ人が日本のサムライに対して抱いているイメージ

Düsseldorfでは毎年一回、日本デーというものが開催され、そこには、日本の戦国時代を愛するドイツ人なども多く集まります。私が一度赴いたときは、武田家を信奉するドイツ人によって、いかに武田騎馬隊が素晴らしかったか、いかなる武士道魂をもって彼らは長篠で散っていたのか、を発表する催しのようなものがありました。

ここまで度が過ぎていなくても、欧米には一定数「日本の歴史マニア」と呼ばれる層が存在します。漫画などからこうした日本の歴史に興味を持ったものから、ラストサムライのように自らがサムライとなってヒーローになりたい、という歪んだ欲望を持ったものまで多種多様ですが、今回は、ドイツ人の中でサムライがどのように扱われているのかを見ていきましょう。

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ドイツにおけるサムライ好きたち

もちろん、物事には程度があります。例えば、日本のいわゆる「オタク」と呼ばれる層にも、ある程度段階が存在するのではないでしょうか。ドイツの日本の歴史好きの中にも、漫画や本で知った程度のライトな層から、夜な夜な家で木刀を振り、己をサムライの生まれかわりだと僭称する危険な層まで存在します。

まず、ライトな層にとってのサムライとは、以下のような形で受け入れられているものだと思います。

Nirgendwo sonst auf der Welt entwickelte sich eine derartiger Krieger- und Waffenkult wie im mittelalterlichen Japan. Das ist um so bemerkenswerter, wenn man bedenkt, dass es sich bei den Kriegen der Samurai, fast ausschließlich um inländische Konflikte lokaler Kriegsherren handelte. Die Männer die diese Kriege mit allen Mitteln ausfochten,
waren ihren Anführern treu ergeben und kämpften mit äußerster Härte und Zähigkeit, bis ihre Feinde oder sie selbst vernichtet wurden.

「この世のどこを探しても、日本の戦国時代のような戦争文化が発達したところはないだろう。さらに、このサムライの戦いがほぼ国内の内戦に限定されていたことを考慮にいれると、それはひときわ異常なのだ。あらゆる手段をもって戦場に向かう彼らは、その指導者に忠誠を誓い、異様な頑強さをもって、敵かわが身が朽ちるまで戦い抜いたのだ」

彼らの中の「サムライ像」は、異国とヒーローへの憧憬が入り混じった物でしょう。例えば、ユーチューブの幕末の写真や日本刀の動画などを見て、「Coolだ!」「かっけー!」と無邪気にはしゃいでいるのは、多分この辺の層だと思います。

ラストサムライ

写真引用元

彼らには、特定のイデオロギーはないので実にシンプルです。己の身を賭して戦地に赴く戦士は、国籍を問わず男の子を魅了するものです。第一次世界大戦の際も、このように中世の騎士のような決闘にあこがれたドイツの若者たちが喜び勇んで戦地に赴き、無残にも毒ガスとマシンガンの餌食になりました。

さて、中には特定のイデオロギーを持ち、どんな物事にも批判的(クリティック)な目をむける人々も存在します。特にドイツ人の場合、その「批判的視点」というものが顕著で、いろいろなものを批判したがります。

例えば、以下のSpiegel紙の書く「サムライ像」は、海外のアニメ好きに理想化されたサムライ像ではなく、どちらかと言えば、略奪もしたし、無抵抗の人もばんばん殺したよ、的な、もうちょっと「鎌倉~戦国時代の実態」に近いサムライ像のことを述べています。

Je länger die echten Samurai verschwunden waren, desto stärker wurde der Samurai-Mythos

「本物のサムライがこの世からいなくなるにつれ、次第に彼らは神格化されていった」

まあ、これは残念ながら否めないでしょう。神格化に関しては、どの国でも同じことが行われています。アメリカのかっこいいカウボーイたちは、史実では原住民を遊び半分で殺していますし、どんな高潔だと言われている軍隊だって、虐殺、強姦、略奪くらいはしているでしょう。それが資料として残っているかは別として。

Wenig später ging er mit seiner Armee sogar auf Expansionszug und fiel mit 200.000 Mann in Korea ein, um von dort aus China zu erobern. Doch der Feldzug scheiterte und wurde nur durch die ungeheure Brutalität der Samurai berühmt: Die vermeintlich tugendhaften Ritter richteten ein Blutbad an und kehrten 1598 mit 76.000 eingepökelten Ohren ihrer Gegner nach Japan zurück.

「(豊臣秀吉が天下統一してから)しばらくして、彼は最終的に中国を支配する目的で、20万の軍勢を朝鮮半島に派兵した。ところが、この戦争は、秀吉の目論見通りには行かず、サムライの野蛮さを世間に知らしめるだけにとどまった。高潔な戦士だと思われていたサムライ達は、かの地で屍の山を築き上げ、76,000人分の耳を持って故国に帰還した」

ただ、あえてサムライを擁護するのであれば、現在のような高潔な騎士道精神に満ち溢れたサムライ像は、どちらかと言えば戦国時代が終わり、江戸時代に入ってから、例えば「葉隠」のような書の中で形作られたものだと思いますので、それ以前の戦国時代のサムライ像を引き合いに出されても、そりゃ確かに違う気がしますが。

ちなみに、この「神格化されたサムライ像」の記事に対して、何人かのドイツ人がコメントを残していましたので、最後に和訳してみました。

Es ist wie in den Religionen der heilige Krieg, so der Samurai, was bis heute nicht verstanden wurde. Es ist der innere Krieg in uns selbst.
In der Bhagavad- Gite wird es uns erklärt: Dialog zwischen Krishna (Avatar, Gott) und seinem Freund Arjuna, einem Prinzen, der in den Krieg ziehen soll, aber mutlos ist. Krishna probiert, Arjuna zu überzeugen, dass er kämpfen muss, wobei der Leser bald merkt, dass der Krieg metaphorisch zu verstehen ist: als eine innere Schlacht mit den eigenen inneren “Dämonen”. Wir erfahren, dass unsere wirklichen Feinde nicht draussen, sondern in unserem Inneren sind: unser Verlangen, unser Zorn und alle unsere Begierden; sie gilt es zu bekämpfen

「サムライのおこなう戦争は、今日まであまりそのように理解されていないが、宗教の行う聖戦のようなものだ。ただし、それはいわゆる“内的な戦争”なのだ。それは、バガヴァッド・ギーター(インドの宗教的抒情詩)の中で、クリシュナ(神)と、出征しなくてはいけないが勇気の湧かない、彼の友であるアルジュナ(国王)の対話を通じ、我々に理解させるものであると考えられるだろう。クリシュナは、アルジュナを戦争に行かせようと説得させようとする。この対話は、いわゆる“比喩”であることが読者にはすぐに理解できる。すなわち、自分の中のデーモンとの戦いである。我々は、我々の本当の敵は外ではなく、内なる自分であることを知っている。我々の要求、怒り、欲望など、すべてを超克しなくてはいけないのだ」

Das Tokugawa Shogunat hat von 1600 bis 1853 Japan weitesgehenden Frieden geschaffen, das Land weitreichend abgeschottet. Warum ist das Interessant?
Japan ist nicht übermäßig mit Rohstoffen gesegnet. Es ist das einzige mir bekannte Model einer erfolgreichen Abschließung und damit für einen nachhaltigen Staat.

「徳川幕府は、1600年から1853年に及ぶまで、日本を鎖国し、平和を保持した。なぜゆえ、これがそんなにも興味深いのかって?日本は、特別に資源に恵まれた国なんかじゃない。僕の知る限り、この時代の日本は、鎖国状態でこんな長らく平和を保持し続けた唯一のケースだ。」

Was uns dieser Unsinn natürlich verschweigt ist der Hintergrund dieses Krieges, der unzählige OPfer fordern sollte. Und natürlich stehen die Götter wie immer in solchen Fällen hinter den Machthabern: Der Kriegsgrund: Ein dümmlicher Prinz hat allen Ernstes beim Würfeln sein Königreich verzockt. DESHALB kommt es zu dem Krieg.
Aber mit grossen Worten und heuchlerischen Phrasen sind ja alle solche Bücher vollgestopft!

「ここでナンセンスにも秘匿されているのは、多大な犠牲者をこうむらせた戦争の黒幕のことだ。当然のように、彼らの神(多分天皇のことを言っている)は、権力者の影に隠れている。戦争の原因は、馬鹿な王様が彼の王国のサイコロを振ったことだ(多分天皇がサイコロ遊びのように戦争を始めたのだと言いたいのかと)。“それゆえ”、戦争が起きた。それなのに、どんな本も文献も、様々な言葉で煙にまくだけで、この事実を物語ろうとしない!」

Das ist genau dasselbe wie mit dem englischen/britischen Gentleman (besonders deutlich sichtbar bei den Verbrechen in den britische Kolonien). Ein Mythos einer herrschenden Clique/Kaste/Klasse soll die Verbrechen selbiger übertünchen. Es geht immer um Macht und Geld und das “dumme Volk” wird auf das Jenseits vertröstet.

「サムライは英語圏における“ジェントルマン”と同じようなもんだね、特にイギリス人が彼らの植民地でやった犯罪行為を見てみりゃわかるが。支配階級に対する歪んだ神話は、いつも彼らに不都合な真実を覆い隠す役に立つんだ。結局は金と権力がものをいうわけで、馬鹿な国民どもは捏造されたヒーロー像に対し、ありもしない希望を持つんだ。」

Es ist völlig sinnlos die damaligen Verhältnisse mit heutigen Massstäben zu messen.
Kein mittelalterlicher Mensch, egal ob in Japan oder Europa könnte Ihre Empörung verstehen. Das trifft auf die “Täter” dieser Epochen vermutlich genauso zu wie auf die “Opfer”.

「当時の行いを現在の倫理観で考えたらダメでしょ。日本かヨーロッパの中世の人でもない限り、彼らの振る舞いを理解できるわけない。この記事じゃ“加害者”と書かれているけど、そっくりそのまま“犠牲者”とも言えると思うよ。」