第一次世界大戦とドイツその7:1918年の春季攻勢

What passing-bells for these who die as cattle?
Only the monstrous anger of the guns.
Only the stuttering rifles’ rapid rattle
Can patter out their hasty orisons.
(Anthem for Doomed Youth, Wilfred Owen)

畜牛のように死ぬ者に、どんな弔鐘を捧げましょう
怒り狂った銃声だけが、
ライフルの打ち震える音だけが、
彼らにとっての鎮魂歌
(若き死人たちのアンサム、ウィルフレッド・オーウェン)

1918年3月、血でまみれた大戦のフィナーレを彩るにふさわしい、ドイツ陸軍300万人による最後の大攻勢、「春季攻勢」が幕を開けようとしていました。

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ドイツ軍の春季攻勢(Frühjahrsoffensive)

猛将、ルーデンドルフ麾下、3月21日、西部戦線に終結したドイツ陸軍がフランス、イギリス軍に対し総攻撃を開始します。

Durch die Konzentrierung aller verfügbaren Kräfte im Westen erlangten die Mittelmächte dort nach vier Jahren erstmals wieder eine zahlenmäßige Überlegenheit.

「西武戦線に動員可能な勢力をすべて費やすことにより、開戦以来4年ぶりに、中央同盟軍は数的有利を手に入れた」

1914年、第一次世界大戦が始まった当初、ドイツ軍はシュリ―フェン・プランに基づき西部戦線に大軍を動員しますが、それ以降は東部戦線方面に兵力を割かなくてはいけなくなったため、ドイツ軍は兵力での優位を得ることができませんでした。

その1914年以来、この春季攻勢では西部戦線においてドイツ軍がフランス・イギリス側の兵力を上回ったのです。

Das strategische Ziel waren die Eroberung von Amiens und die Trennung der britischen und französischen Verbände.

「この戦略の目的は、アミアンの制圧と、イギリス軍とフランス軍の分断である」

まず、ドイツ軍71個師団はフランス軍、イギリス軍両軍の継ぎ目に襲い掛かります。この際にドイツ軍が用いたのは「浸透戦術」という作戦で、このフランス・イギリスの頑強な防衛線を突破するための戦術です。

どんな戦術かというと、敵の防衛線の固そうなところは無視し、とりあえず砲撃によって相手を混乱させたのち、相手の弱そうなところからどんどん敵の防衛網に浸透するように突撃歩兵がなだれ込み、これを制圧する、という、敵にも味方にも大量の犠牲が出ることが織り込み済みの力業です。

塹壕の突破

また、この戦いにドイツはすべての技術をフル活用します。すなわち、毒ガス、戦車、飛行機、と、人道・非人道的を問わず、なりふり構ってはいられないので、文字通り総力戦のためにドイツ帝国の科学技術の結晶がふんだんなく使用されます。

例えば、ドイツ軍は1917年より、皮膚から人体に作用するマスタードガスを導入しており、この戦いでも使われました。従来の毒ガスと違い、マスタードガスにはガスマスクが効かないうえ、呼吸器の糜爛や失明をもたらす、まさに人を殺傷せしめるために生まれた悪魔のような化学兵器で、泥と死体に埋め尽くされた現場は一層凄惨を極めます。

ちなみに、マスタードガスは地表に残るため、のちに進撃することとなるドイツ軍にも影響をもたらしました。

さて、こうしたありとあらゆる手段を使い、ドイツ軍は怒涛の勢いでイギリスとフランスの軍団を分断、さらにパリに迫ると、ここで満を持してドイツ軍の新しい兵器が登場、パリを遠距離から砲撃可能な「パリ砲」です。これにより200人ほどの犠牲がフランス市民に出ています。

Die deutliche Überlegenheit der deutschen Artillerie ermöglichte der Infanterie einen raschen Vormarsch durch die ersten Frontlinien, an einigen Stellen gelangen bis zu 50 Kilometern tiefe Durchbrüche. Mit Ferngeschützen wurde Paris unter Artilleriefeuer genommen.

「このあからさまなドイツ軍の優勢によって、ドイツ軍は歩兵のめざましい前進を可能にし、一部では前進は50kmに達した。これにより、パリがパリ砲の射程に入った。」

以前のソンムの戦いでイギリスとフランスが多大な犠牲をこうむって進軍できたのが10km程度ですので、このドイツ軍が数日のうちに達成した50kmという数字が、今までまったくの膠着状態だった塹壕戦においていかに途方もない数字かが分かります。

パリ砲

この輝かしい進撃の一方で、前線のドイツ帝国の勝利を信じて疑わない兵士たちはバタバタと死んでいきます。上述の通り、浸透戦術は、突撃歩兵という、サイボークでもなんでもない、生身の人間が機関銃でフル武装された相手の要塞に乗り込んでいく力業の戦術ですので、はなから彼我の人的損失は無視された非人道的な戦術です。

突撃歩兵

これにくわえ、イギリスもフランスも後がないので、毒ガスで応酬し、さらに戦車を戦場に次々と投入したりと、生身のドイツ兵を蹂躙していきます。

こんな地獄のような戦いが2か月ほど繰り広げられ、ドイツ軍は被害を拡大しながらも西部戦線に張り巡らされた巣のような塹壕とそこに立てこもるフランス軍を、着実に駆除していきます。

Am 29. Mai wurde Soissons erobert, einen Tag später erreichten die Deutschen zwischen Dormans und Châteu-Thierry die Marne. Seit der Marne-Schlacht 1914 standen die Deutschen nicht mehr so nahe vor Paris.

「5月29日、Soissonがドイツ軍に制圧され、1日後にはドイツ軍はマルヌとドーマンの境目に達した。ここまでドイツ軍のパリへの接近を許したのは、マルヌ開戦以来である」

5月にはドイツ軍はSoissonを攻略し、パリに迫ります。ところが同時期、アメリカ軍がいよいよヨーロッパに上陸を開始しました。あとは、パリを陥落させるのが先か、アメリカ軍の本隊が戦場に駆け付けるのが先か、もはや時間との戦いになりました。

ドイツ軍は優勢でしたが、アメリカ軍の本格参戦を許せば、戦況は簡単に覆ります。一刻の猶予もないドイツ参謀本部は兵士を叱咤し、一層フランス最深部へ突入させます。

Dementsprechend herrschte in der französischen Hauptstadt Panikstimmung, die Regierung verließ Paris. Der alliierte Oberbefehlshaber Ferdinand Foch war jedoch überzeugt, dass die deutsche Offensive sich totlaufen würde, und verzichtete darauf, zusätzliche Truppen von der Front in Flandern abzuziehen.

「そのドイツ軍の進撃に比例して、パニックがパリを包んだ。政府はパリを見捨てた。ところが、フランス軍の司令官フォッシュは国民を励ました、ドイツ軍の進撃は必ず頓挫する、彼らはフランダル州から必ず撤退するだろう、と」

パリはもう目と鼻の先です。ドイツ国民は、連日の戦果の報道に、もはやドイツ帝国の勝利を確信してやみません。4年間苦しい戦争を耐え続けた国民のうえに、山のように積み上げられたドイツ兵の屍のうえに、ようやく勝利の女神がほほ笑む時が来た、と。

しかし、ここで、ドイツ軍は最後の一押しができません。どうしても、パリを包囲し、陥落させるには、あと少しだけ戦力が足りないのです。そう、あのブレスト・リトフスク条約でロシアから割譲した広大な地域を守るために残されたドイツ兵です。彼らさえこの土壇場で西部戦線に導入できていれば、大戦の帰結はまた違ったものになっていたかもしれません。

アメリカ軍の到着

現実には、ドイツ軍の補給路は伸びきり、兵は損耗し、もはや進撃は限界に達していました。彼ら100万のドイツ軍は東部戦線の守備にくぎ付けにされています。フランス軍フォッシュの言う通り、ドイツにはこれ以上余力はありません。逆に、ドイツ軍のこの最後の大攻勢を乗り切った協商国側には、次々と無傷のアメリカ軍が送られてきます。

これがドイツ軍による、この大戦最後の攻勢となりました。この攻勢を乗り切った連合軍は、ここから反撃に転じ、今度はドイツ軍が連合軍の激しい攻勢にさらされる番です。大戦の終わりが近づいていました。

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