ドイツの難民事情と身近な実例:ドイツ人友人の見た難民問題

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日本のメディアでも欧州の難民とそれに関連するテロの問題が話題になって久しいので、今回はドイツにおける難民事情に関して紹介していきたいと思います。

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ドイツにおける難民事情

ドイツは言わずもがな、欧州の経済大国です。そのため、難民たちも必然的に欧州のどこかの国、というのであれば、ドイツがよいので、ドイツを目指します。ちょっと数値が古いのですが以下のような記事を拾ってきました。

In den letzten 15 Jahren kamen vor allem Flüchtlinge aus der Türkei, aus Ex-Jugoslawien, Irak und Afghanistan nach Deutschland. Derzeit sind es vor allem syrische, afghanische, iranische oder serbische Flüchtlinge sowie Flüchtlinge aus der Russischen Föderation. Um eine Chance auf Aufnahme zu haben, müssen sie in der Regel einen Asylantrag stellen. Unter ihnen sind jedes Jahr circa 2.000 Minderjährige, die ohne Eltern nach Deutschland kommen. Insgesamt stellten 2012 64.539 Menschen einen Asylantrag in Deutschland.

『ここ15年では、特にトルコ、旧ユーゴスラビア、イラク、アフガンなどの難民がドイツに移民している。また、最近ではシリア、アフガン、イラン、セルビア人、はたまたロシア人の難民が増えている。この移民のチャンスをつかむためには、しかるべき亡命申請をする必要があるのだ。このシステムの下、毎年約2000人の孤児がドイツに移民している。2012年には6万4000人もの人々がドイツで亡命申請をおこなった。』

この記事の情報では、2012年にドイツで申請を行った難民の数は6万人ちょいですが、Die Weltの記事によると、そこから難民者数は右肩のぼりで、2014年には20万を越える予想です(これも記事が少し古いです)。

“Ich gehe davon aus, dass im Jahr 2014 nicht 200.000 Flüchtlinge nach Deutschland kommen, sondern dass es eher 220.000 oder 230.000 sein werden”, sagte Maly am Mittwoch der “Rheinischen Post”.

『Rheinischen PostのMalyは「私は2014年の難民者数を、20万人ではなく22~3万人と仮定する」と語った』

今年(2015年)の難民者数は見つけられませんでしたが、さらに輪をかけて増えていると思います。のそして、どうして難民が発生するのか、という理由が以下の通りです。

Die Gründe, aus denen Menschen gezwungen sind zu fliehen, sind vielfältig: Verfolgung, Folter, Vergewaltigung, Krieg und Bürgerkrieg, drohende Todesstrafe, Zerstörung der Existenzgrundlagen.

『人々に難民とならざるを得なくする理由は多岐に及ぶ。迫害、拷問、強姦、戦争、内戦、死刑宣告、生活基盤の破壊・・・』

こうした難民の増加に対して、政府は対応を強いられている者の、受け入れ態勢もすでに限界に近い、というニュースも散見されます。

ドイツにおける難民の実例

さて、私は政治家でも専門家でも偏向報道をするメディアでもありませんので、偉そうにこの問題に口をはさむことはしません。個人の体験として、身近な知り合いの難民の話を個々に紹介します。

1.エリトリアの難民

第二次大戦以降大国間の大きな戦争は無い、というのが言われていますが、その期間中には朝鮮戦争もベトナム戦争もありましたし、今も中東やアフリカでは多くの紛争が行われています。

無政府状態になって久しいソマリアの話は日本でもよく聞くと思いますが、そこに隣接しているエチオピアや、更にそのエチオピアから1991年に独立を果たしたエリトリアの話題は、日本ではあまり馴染みが無いのではないでしょうか(ちなみに、フランス人作家のメリメの書いたのは『エトルリアの壺』で、微妙に違います)。

かつてはアラブ圏との交易でさかえ、紅海を望む美しい国ですが、エチオピアからの独立後、周辺国家を敵に回し、エリトリア、ジブチ、イエメンなどと対立中です。

その無謀な外交政策が祟ってか、一党独裁政治を引くイサイアス書記長の元、国民皆兵制度が取られ、女性も現場へ駆り出されているとのことです。

ドイツ語がまだ上手でないので、脱出した経緯は不明ですが、私の友人のエリトリア人難民いわく、サハラ砂漠をワゴン車のようなモノで10日かけて横切り、その後船でイタリアへ渡り、ドイツへ上陸したとのことです。

サハラを突っ切る10日では水が足りず、死ぬ思いをしたと語っていました。現在はドイツ政府の援助を受けつつ、私の都市の語学学校に通い、将来はドイツでの就職を夢見ているとのことです。

2.コートジボワールの難民

もう一人難民の友達がいるので紹介します。彼は西アフリカの小さな国、コートジボワールの生まれで、ドイツ語はほとんど話せませんが、フランス語がペラペラです。

古くは象牙、そして奴隷取引の町として知られ、現在ではサッカーなどで有名かと思います。こちらは、大統領選に伴う内戦と治安悪化などから2010年以降大勢の難民(一説に10万人)を生み出したのことで、私の友人もその一人です。

彼の場合、近隣諸国のリベリアなど数か国をたらいまわしにされ、同様にサハラ砂漠を車で突っ切り、最終的にドイツに流れ着いたとのことです。車の手配やビザなどはどうしたのか聞きたいのですが、ドイツ語がまだあまり話せないので、情報が引き出せませんでした。

彼も上述のエリトリア人と同様に、語学学校に通いながら、ドイツ国内での就職を目指しています。

ドイツ人やドイツメディアの反応

これは、人やメディア媒体によってまちまちです。批判的な見解を示す(特にテロ行為や治安悪化などの理由から)人もいれば、肯定的な見解を示す(労働人口の拡大)人もいます。確かに、ドイツの出生率は日本と同様、非常に低水準で、難民や移民流入のようなイベントがあれば、長期的には労働人口を賄うことが可能です。

なぜ難民を救わなくてはいけないのか、これに疑問を抱く人々も中には多くいますし、特定の答えは出ていません。上述のように将来の労働人口の確保の話もあれば、人道上の理由で賛成する人もいます。

割とセンシティブな問題ですので、表立って居酒屋などでこうした意見を露わにすることはあまりありませんが、個人的な真面目な話のときなど、こうした話題に触れられることも少なくありません。

こうした『Controversial』な問題で面白いのは、バックグラウンドによってモノのとらえ方が異なるところです。私は就職活動の時に『多角的なモノの見方が云々』という人の話を聞いた気がしますが、ある程度民族的な統一が取られている日本と多くのバックグラウンドを持ったドイツとでは、やはり多角的視野の範囲が違うと最近気づきました。

たとえば、BWL(経営経済学)を学んでいる私の友人は、上述のとおり難民問題を労働政策の一環としてとられていますし、父方にアラブ人を持つハーフドイツ人の友人は、ある国の秩序が乱れると、当然、その国や近隣諸国の経済がダメージを受け、軍国主義化した場合、近隣諸国に戦争被害が及び、インフラ系統も被害を受け、あるいは、行き過ぎた差別や抑圧はテロリズムなど負の連鎖を招くこととなり、世界共通の利を損ねることになりかねないので、その予防措置だと言っていました。

こういったセンシティブな社会問題に関しては、試験などで意見を求められることはそんなに多くないと思いますが、一応、自身の信条の一つとして、色々な情報をとらえてから、意見を固めておいた方が、いざ意見を求められた時に一目おかれます。

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