ドイツの美術館(Museum)と中世~ルネサンス期の芸術品・絵画の歴史

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ここから美術館の中に入りますが、写真の地図のように中は3階建てになっており、それぞれの部屋ごとに『Mittelalter(中世)』『Renaissance(ルネサンス)』『Barock(バロック)』『Moderne(モダン芸術)』などと、時代別に作品が分けられています。

美術館の地図

美術館の地図

今回は、ドイツ美術を知る上で欠かせない『Mittelalter(中世)』~『Renaissance(ルネサンス)』期までの芸術と、そこに密接に関連しているキリスト教について説明していきます。

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ドイツと宗教画の歴史

西洋の美術の歴史は宗教とともに発展してきたと言ってもよいでしょう。実際に、ドイツの絵画、彫刻なども近代以前はキリスト教をかたどったものが殆どで、こうした信仰心と美意識というものは密接に関係していました。

また、近代以降美術的なスタイルが確立され、リアリズムやシュールレアリズムや表現主義がヨーロッパを席巻した最中でも、ドイツをはじめとするキリスト教圏の芸術の根底には、宗教的な色合いが深く根付いていたと言っても過言ではありませんでした。

380年にローマ帝国内でキリスト教が国教会と認められるようになると、ローマ帝国内には多くの教会が建設されはじめます。もっとも、ドイツ北部にこうした教会が建設されるようになったのは東フランク王国が建国された、9世紀中ごろのことでした。

下は美術館の説明文からの引用です。

Glauben braucht Räume und Bilder. Seit dem 9. Jh. warden auch in Westfalen die ersten christlichen Kirchen errichtet. Aufwändige Skulpturen und Gemälde, Handschriften und Goldschmiedearbeiten schmucken die Gebä
ude, zur Ehre Gottes.

『信仰儀礼は建物(空間)と絵画を必要とした。9世紀に入ると、Westfalen(ドイツ北部)ではじめて教会が建設されるようになった。こうした宗教的な彫刻や絵画、古文書や金細工の品は、神に対する畏敬のあらわれであった』

こうした彫刻や、絵画はすなわち王侯貴族のためでも、はたまた現代のように庶民のためでもなく、いわば神のために捧げられたものでした。

教会に飾られていた装飾品

教会に飾られていた装飾品

Kirchen sind auch immer ein Hort für Schätze

『また、教会はつねに財宝の避難所でもあった』

もっとも、このように教会が秘匿のものとされ、財宝などが集中したことが次第に権力の腐敗を招くようになり、16世紀にはルターの宗教改革と、プロテスタント分離を引き起こしますが、これは先のお話です。

火薬・羅針盤と並ぶルネサンス三大発明の一つと言われる活版印刷を発明したのが、ドイツ人技師の『ヨハネス・グーテンベルグ(Johannes Gensfleisch)』です。
彼の発明によって、紙媒体は急速に普及し、のちの宗教改革をもたらします。

キリストの受難と聖母マリア像

神様にささげる崇高できらびやかな装飾、彫刻、絵画と並び、キリスト教芸術の重要なもう一つのコンセプトが、イエス・キリストと聖母マリア像でした。

キリスト教芸術に関する説明文

キリスト教芸術に関する説明文

『中世において、イエスの人生と受難を〈nachahmt模倣する〉ことが、宗教的なものとしてみなされていた。13世紀から、個人、特にキリストの受難を描いた造形作品が多く登場することとなった。すなわち、茨の冠を頭にのせて、苦痛に耐えるイエスの姿や、処刑された息子の亡骸とともに、悲しみに暮れる聖母マリアを描くような作品である。こうしたキリストの死体と聖母マリアの姿を描いた作品は〈Pieta(ピエタ)〉と言われている。信者たちは、こうした信心の概念をもとに、聖人との関係を自らのうちに築いたのであった。』

人間は生まれながらにして罪を背負っており、その人間の罪を一身に背負って昇天したイエスを崇めることによって、現世の人間たちは救われる、というのがキリスト教の教条であり、こうした救済の使徒キリストは、しばしば宮廷や王族の家などにも好まれ、まつられるようになります。

中世の石像やキリスト教絵画など

中世の石像やキリスト教絵画など

また、その母であり、処女でありながらイエスを懐胎し、厩の下でイエスを生んだマリアもまた、こうした信仰の対象となりました。中世にはマリア像は主に受難のモチーフ、あるいは神と人間とのあいだをつかさどる聖母として、ルネサンス以降には次第に慈愛の象徴として象られていくこととなります。

ゴシック芸術の発展

また、こうした宗教芸術の発展とともに、画家や彫刻家たちは次第に自分のアトリエや、弟子などを持つようになり、ここに技術継承をしていく師弟関係が形成されたり、パトロンの援助などが発生したりしました。

国境を越えた芸術の発展の説明文

国境を越えた芸術の発展の説明文

『中世には、芸術家とパトロンが積極的な交際ややり取りをつづけた。それは、都市間の距離など関係なしに行われたのである。このように、芸術の発展はヨーロッパ中に普及していくこととなった。これは、ゴシック様式には顕著に表れている。パリやプラハで生まれたこうした様式は、ドイツ北部にも明らかにその足跡を遺してみせた。つまり、繊細な外見をもち、衣服は深く垂れて、何層にも重ねられ、そして彼ら(モデル)の顔は柔らかく、夢見心地にみえるのである。』

中世までは上記のようにキリストの受難を描いた、いわば人間の暗黒面を描いた作品が数多かったのですが、やがてゴシック美術が栄え、宮廷のきらびやかな美術活動が発展し、ヨーロッパの交流がその数を増していきます。

13~15世紀ごろまでつづけられたこのゴシック様式の発展は、その次に来る、人間の華やかな時代、すなわち、宗教改革がおき、多くの哲学や文学が誕生し、啓蒙の時代の幕開けとなる、ルネサンス期の下地をつくりました。

ルネサンスの幕開けとバロック期

ルネサンスの語源はフランス語の『Renaissance』で、ドイツ語でも同じ綴りです(ドイツ語にはよくフランスの言葉が登場します)。実際のおこりはイタリアですが、ヨーロッパ全土にこの動きは広がりました。

上述の通り、キリスト教に支配された中性という時代は、人間的な美を無視したものであったため、こうした時代から再びギリシャ時代の『人間美』をモチーフにした芸術が登場し始めるようになったのです。

有名どころではミケランジェロ、レオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロ・サンティ、ボッティチェルリなど、またドイツではデューラーホルバインなどが知られています。

ルネサンス期の作品

ルネサンス期の作品

またこの時代に発明された、グーテンベルグの活版印刷も、中世の封建制度からの脱却に一役買うことに成功しました。活版印刷技術により、海外の様々な思想、哲学がヨーロッパ全土に行き届くようになり、ルネサンスは大規模な広がりをみせたのです。

マルティン・ルターによって、教会の秘儀とされてきた聖書の内容が一般大衆にも広く普及することとなり、カトリックの専横が崩れさりました。こうして宗教改革がおこるのですが、その役割を担ったのがグーテンベルグの『活版印刷』でしょう。活版印刷によって、ルターは自身の著書をまんべんなく世に広めることができたのです。

この辺りまでがキリスト教芸術から、中世芸術までのおおまかな流れです。美術館の写真をいくつかのせていますが、確かにキリスト教的な苦悩の作品から脱却し、次第に華やかなもの、写実的なものが多く飾られている様子が分かります。

ドイツにおいては、特にキリスト教芸術が絵画、彫刻以外の面でも『建築』といった面で栄えており、どこの町にいっても大きな教会が存在しています(一部は戦災で失われてしまっていますが)。

こうした中世芸術~ルネサンス期までの背景というものは、ドイツ国内どこへ行っても同じなので、参考にしていただければありがたく思います。

バロック期の作品

バロック期の作品

ここまでが、暗い中世時代の芸術から、華やかなルネサンス・バロックまでの作品になります。次回は『現代美術』について触れていきたいと思います。