ドイツで日本の「過労死」はどのように扱われているか

ここ最近、再び過労死の事件が相次いでいます。NKHで亡くなった女性や、電通社員の過労死など、大企業でも超過労働が常態化していることが、日本のみならず、海外でも驚かれています。

今回は、ドイツでは、日本の「過労死」がどのようにとりあげられているのかを見ていきたいと思います。

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ドイツにおける“カロウシ”

Tsunami(津波)やSamurai(サムライ)同様、すでにありがたくないことに「カロウシ」という言葉もワールドワイドに通用する日本語となってしまいました。ドイツのサイトで「Karoshi」と検索してみると、いくつかのサイトが引っかかります。

例えば、以下のサイトは、主にキャリアに関する情報を扱っているサイトなのですが、中で専門用語として「カロウシとは何か」という記事を設けていました。

Kürzlich lief wieder ein Phänomen durch die Medien, das so neu nicht ist, aber dennoch immer wieder erschreckt: Karoshi. Hinter dem exotisch klingenden Begriff verbirgt sich die japanische Bezeichnung für etwas, dass sich als Aufopferung für die Arbeit beschreiben lässt. Dabei ist Aufopferung durchaus wörtlich gemeint: Menschen, die für ihre Arbeit leben und schließlich sogar ihr Leben lassen. Doch wie kann jemand es soweit kommen lassen, dass er sich derart aufreibt?

「この現象自体は別に新しいものでもないが、最近ふたたび紙面をにぎわせ、人々を驚かせた。“カロウシ(過労死)”。このエキゾチックな語の後ろには、日本語の意味が隠されている。すなわち、自身を労働の犠牲にする、という言葉である。ここで言う犠牲とは、彼自身の仕事のために人生を捧げ、それもろとも仕舞には自らの命まで捧げてしまう、という意味だ。なにゆえ、人々はそこまで身を粉にして働けるのだろうか?」

多くのドイツ人が、この死ぬまで働くという日本特有の悪しき伝統のことを理解できません。死ぬより大変なことなんてないんだから、さっさと辞めてしまえばいいのに、と思うわけです。

この意見を聞くと、いかにドイツと日本の文化に違いがあるのか、ということが実感できます。日本は恥の文化です。個人の健康や自由な時間よりも、場合によっては「体面」「周りからどう思われるか」といったことのほうが、重要視されてしまう文化なのです。

例えば、同サイトは、これらは過労死の原因の氷山の一角だと断りを入れたうえで、以下のように日本人の「超労働超過文化」の理由を分析します。

die Erziehung: Die japanische Gesellschaft ist eine Gemeinschaftskultur, in der man sich nicht selbst verwirklicht, sondern seinen Beitrag für die Gruppe leistet. Zudem ist die Kultur streng hierarchisch geprägt – auch in der Bürowelt. Widerspruch kommt darin nicht vor.
die Angst vor Gesichtsverlust: Den Eltern beichten zu müssen, dass man sein Pensum nicht schafft, kommt einer großen Schande gleich. Für die gesamte Familie.
die Angst vor Arbeitsplatzverlust: Wer immer wieder mit einem unbefristeten Arbeitsvertrag geködert wird, strengt sich mehr an.

「1.社会的教育規範:日本社会は共同社会であり、その中では個人の希望を叶えることよりも、集団のために寄与することが求められている。特に、その文化そのものが厳格なヒエラルキーによって規定されており、反論は認められない。
2.面目を失うことへの恐怖:その課題がうまくいかずに、両親にそのことを打ち明けるのは、家族全体の体面を傷つける
3.職を失うことへの恐怖:終身雇用の餌でつられた社員は、つねに身を粉にして働かなくてはいけない」

これらは、ドイツと比べるとすべて異なります。まず、ドイツは個人主義社会ですので、グループの達成よりも個人の自由や目標が優先されます。また、彼らの社会規範において、恥はそこまで重要ではありません。さらに、終身雇用契約ではないので、職を失ってもすぐに別の仕事を見つけられます。

というわけで、日本とドイツの文化を比較すると、ドイツ人にはどうして日本人がこんなに働くのか分からないわけですし、逆に日本人はどうしてドイツ人が5時に帰宅できるのかも分からないのです。

ドイツの新聞に見るカロウシ

おまけに、ドイツの新聞が過労死の記事をどのように扱ったのか見てみましょう。各紙を比較しようと思ったのですが、どの新聞も同じ論調でそんなに面白くなかったので、welt紙だけまとめてます。

Welt紙の2017年10月7日の紙面では、日本のNHK社員が労働超過と因果関係のある病気で亡くなり、それが過労死にあたることを取り上げています。日本の労働環境、およびそれに対する今後の政府の課題などを扱っています。また、こうした労働問題を本来であれば取り上げなくてはいけないNHKの内部で、このような事態が発生してしまったことを皮肉っています。

Der Tod der jungen Frau schockierte die japanische Öffentlichkeit besonders, denn NHK hatte immer wieder das hohe Arbeitspensum in Japan angeprangert und über Fälle von Überarbeitung in anderen Unternehmen berichtet.

「この若い女性の死は、日本の大衆に大きなショックを与えた。なぜなら、NHKは今まで日本の労働環境問題をやり玉にあげ、他の日系企業の例を引き合いに出しては、糾弾していたからだ。」

最後の締めに、ドイツでの現状を挙げています。以下のように、ドイツ国内では週に48時間を超えて働く人(残業ではなく、ただの労働時間)が11パーセントもいる、と言っていますが、日本人の私からしたら、たった11パーセントかと思えます。

Auch in Deutschland sind Überstunden ein verbreitetes Phänomen: Nach Zahlen des Statistischen Bundesamtes arbeiten etwa elf Prozent der Vollerwerbstätigen mehr als 48 Stunden pro Woche. Der „Arbeitsmonitor 2017“, eine empirische Studie zu Arbeitszeiten in Deutschland, fand heraus, dass Angestellte in Unternehmensberatungen und in der Werbebranche besonders viele Überstunden machen.

「ドイツでも、労働超過は社会問題になっている。政府の統計データによると、11パーセント程度の正規労働者が、週に48時間を超えて働いているとのことだ。“Arbeitmonitor 2017”というドイツの労働時間に関するモニター調査によると、特に広告業界とコンサル業界では残業が多い傾向になっている。」

他にも、銀行や医者などはドイツと言えども残業が多い、過酷な労働環境のようです。私の友人の銀行員のドイツ人は、帰宅が21時くらいになることも多い、と嘆いていました(それでも日本よりかはマシでしょうが)。