世界大恐慌とドイツへの影響:ワイマール体制はいかにして崩壊したか

「然るに頃来遂に不逞凶悪の徒簇出して私心我欲を恣にし至尊絶対の尊厳を藐視し僭上之れ働き万民の生成化育を阻碍して塗炭の痛苦を呻吟せしめ随つて外侮外患日を逐うて激化す、所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等はこの国体破壊の元凶なり。」二・二六事件における青年将校の檄文より

1914年に勃発し、1918年まで欧州を舞台に戦われた第一次世界大戦は、イギリス、フランス、ドイツなど、当時の欧州先進国の経済や産業を疲弊させました。彼らに代わり、新たに世界経済の盟主として躍り出たのは、戦時中に輸出業を発展させ、かつフランス・イギリスへの借款を保持したアメリカでした。

第一次世界大戦後、アメリカを中心に急速に発展した投資活動は、「永遠の繁栄」という空前絶後の好景気をもたらしました。世界経済は熱狂に浮かれ、人々は株価チャートに一喜一憂する生活を送ります。

1929年、ところが、かりそめの世界平和は世界大恐慌とともに崩れ落ち、ドイツでは4年後にナチスが政権を奪取、日本では農村部の困窮をみかねた青年将校による五・一五事件や二・二六事件へと発展、両国は軍国主義に邁進することとなります。

今回は、こうした第二次世界大戦に結び付く決定的なターニングポイントとなった世界大恐慌について、主にドイツの目線からまとめていきたいと思います。

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第一次世界大戦の終結と空前の好景気

世界大恐慌の原因を知るためには、その前座であった「永遠の繁栄」の時期を知ることが必要です。すなわち戦争が終わった1918年から暗黒の木曜日が世界経済を奈落のどん底に叩き落す1929年までの間、どのような要因がこの好景気を支えていたのか、を見ていきましょう。

まず、欧州各国で戦われた第一次世界大戦は、世界の産業、経済体制を大きく変化させました。戦後、被害の少なかったアメリカが、イギリスにとって代わって経済的な覇権を握ることとなります。

一方で、一見このアメリカが確立したかに見えた「永遠の繁栄」と呼ばれる経済構造の中には、すでに世界大恐慌の予兆となる不安定さが内在されており、最終的にこの歪みが限界点を迎え、崩れ去ったのが1929年の世界大恐慌でした。ではいったい、具体的にどのような構造的な不安定を、当時のアメリカ経済は孕んでいたのでしょうか?

1.アメリカに溢れるマネー

第一次世界大戦を通じ、アメリカでは軍需製品・重工業を中心に産業が拡大し、戦後になると、技術革新が加わり、企業に多くの利益をもたらしました。企業が潤えば、配当金も上昇し、投資家も潤います。キャピタル・ゲインの上昇により個人貯蓄率が高まりました。

それに加え、ドイツからフランス・イギリスを通じアメリカに膨大な量の賠償金が流入したため、1920年代前半のアメリカには多くの資金余剰が発生しました。

そうすると、市場にあふれかえったマネーは株式投資や金融商品に行きつきます。こうした背景の中で、国内で行き場を失った余剰資金は、欧州へと流れ込み、ドイツやフランス経済をじゃぶじゃぶ潤すこととなります。

2.実質経済との乖離

さて、経済活動は必ず好況と不況の波が繰り返しやってくるものです。実際に、アメリカの経済も、1926年ごろまでは国内需要に下支えされてきましたが、それ以降は停滞期に入ります。もともと国内需要の大半はいわゆる「高所得者層」であり、低・中所得者層は購買力を持っていなかったので、アメリカの繁栄は永遠に続くものではなかったのです。

そもそも、上述の通りアメリカの好景気は「企業の高利益」によってもたらされたものです。企業の高利益はどこからくるのか?労働者の賃金を安く抑えることによってです。労働者が満足な購買力を持たないという、当時のアメリカ内需は、非常に歪んだ、砂上の楼閣のような様相を呈していました。

さて、一方で、実質的な国内需要が臨界点を迎えたにも関わらず、アメリカの株価は上昇し続けました。PERは実質経済から乖離し、ロケットのように上昇しつづけます。なぜでしょう?この白熱した景気局面に際して、1927年、アメリカはさらなる「金融緩和」、という、日銀でさえ驚くような、狂気の策にでていたのです。

もちろん、それには理由がありました。当時、世界は金本位制でしたが、イギリスのポンド危機という、金本位制の根幹が揺らぐ事件がおき、イギリスからの金の流出を防ぐため、アメリカはこの景気の浮揚期にもかかわらず、金融緩和という危うい策をとらざるをえなかったのです。

3.1928年:公定歩合の引き上げ

さすがに、アメリカ当局も、ここまで景気が熱狂してしまうとまずいと思い、1928年には少し熱を冷ますため、公定歩合を引き上げる決断をとります。

通例であれば、公定歩合が引きあがれば、投機熱は静まるはずです。しかし、当時の世界経済は常軌を逸していました。別に、連邦準備制度に加盟している銀行以外からも、資金の調達先はいくらでもあったのです。

というわけで、アメリカが公定歩合を引き上げると、今度は外部から、アメリカの投機熱を求めて投資が殺到することとなりました。これによって、今までアメリカ→ヨーロッパに流れていた資金の流れが逆転します。

第一次世界大戦後、経済的に打撃を受けたドイツやフランスの経済は、アメリカからの資本の流入によって今まで下支えされていましたが、1928年以降、順調にもたらされていた資金がアメリカに帰っていってしまいます。

4.1929年:大恐慌の勃発

さて、ここまでで世界大恐慌のおぜん立てが整いました。状況は非常に日本のバブル期と似ています。すでに、株式市場を支配しているのは、理論的な数値ではなく、熱狂に駆り立てられて泡沫のように膨れ上がった大衆の夢と希望です。

さて、そんな熱狂がいつまでも続くわけはなく、ある日突然、この歪んだ好景気に終止符が打たれました。1929年10月24日、暗黒の木曜日という名をかりて、経済的破滅がもたらされます。別に、この日おきなくても、翌日か、少なくともいつかは発生したでしょう。

満杯になったコップに水を一滴ずつ注いでいったらいつかはこぼれるように、たまたま大衆の心理的不安などが臨界点を迎えたその日が10月24日だった、というだけの話です。

Leicht erkennbare Ursachen hatte die Krise des Jahres 1929 nicht. Die Erklärungen, die es gibt, weisen nicht Wirtschaftsfakten, sondern der Psychologie eine entscheidende Rolle zu: Sie drehen sich zum Beispiel um den ungewöhnlichen Anstieg der Aktienkurse in den Monaten zuvor und die weit- verbreitete Ansicht, dass dieser Höhenflug irgendwann ein Ende finden müsse

「大恐慌の原因は、単なる経済的要因ではない。むしろ、心理学的要因が、大きな役割を担った。大衆心理が、かつてないまでの株式市場の興奮をもたらした。しかし、いつかは終わりがくるのだ。」

この大恐慌の発生により、まずアメリカ経済がノックアウトされました。当時の世界経済は、共産主義国のソ連をのぞき、アメリカとの輸出入および資本に過度に依存している状況ですので、アメリカが風邪をひくと、欧州各国は熱を出すような状況です。そんな中、アメリカは風邪どころかインフルエンザに罹ったようなものですので、欧州経済の状況は推して知るべしです。

というわけで、アメリカのウォール街で発生した世界大恐慌は、第一次世界大戦の傷跡からなんとか復活しようとするドイツの淡い希望を完全に打ち砕きました。

ドイツと世界大恐慌

さて、ここからはドイツの経済状況を見ていきましょう。第一次世界大戦後のドイツの経済状況は、お世辞にも良いと言えるものではありません。まず、国家予算の2.5倍と言われる天文学的な賠償金を30年ローンで連合国に払い続けている最中であり、産業の中心であるルール工業地帯はフランスに占領されたりと、踏んだり蹴ったりです。

それでも、シャハトの尽力によってハイパーインフレーションに終止符が打たれ、アメリカのドーズ案やヤング案によって賠償金の支払い要件が微妙に緩和されたりと、1920年前半には一時期30%近かった失業率も、1920年後半には5%まで軽減し、なんとかやっていけそうな希望がある状況でした。世界大恐慌さえなければ。

Im Intervall der detaillierten Volks- und Betriebszählungen 1925 und 1933 nahm die Zahl der in Handwerk und Industrie Beschäftigten im Reich um 30,3 % ab, in Sachsen um 37,3 %, in Preußen um 31,9 %, in Bayern um 21,2 %, in Württemberg um 15,3 %

「1925年と1933年との比較で、ドイツ全体では30.3%、ザクセンでは37.3%、プロシアでは31.9%、バイヨンでは21.2%もの職業が失われた。」

戦争が起きれば人が死にますが、貧困によっても人は死にます。自殺率、犯罪率、栄養失調、人間が文化的生活を営む上で必要なすべての指標が、大恐慌発生後のドイツでは異常な値を示していました。

国家の目的が「国民を飢えさせないこと」である以上、この混乱の最中で、国民の食料と仕事を保証するナチスがドイツで台頭したとて、なんら不思議ではありません。

Klagen über das “Bettlerunwesen” wurden laut, mangelbedingte Krankheiten breiteten sich aus, Bedarfskriminalität und Suizidrate nahmen zu. Zur Unterstützung in Not geratener Bürger organisierten viele Städte und Gemeinden Suppenküchen und Spendenaktionen.

「町中には乞食の声が絶えずこぼれ、栄養失調による病気が急増した。犯罪率と自殺率は増加した。多くの都市で、スープを支給する団体活動がおこなわれた。」

ドイツはこの状況下で最後の救いとして、独墺関税同盟によってオーストリアとの協調をおこなおうとしますが、これはフランスをはじめとする連合国に一蹴されます。フランスが経済制裁をおこなったことにより、オーストリア経済は崩壊、その後ドイツとともにファシズムへの道を歩むこととなります。

世界大恐慌から第二次世界大戦へ

この世界大恐慌は、日本とドイツがファシズムへ舵をきり、第二次世界大戦へ突入する最後の契機となりました。最後に補足として、大恐慌がどのように日独を勝ち目のない第二次世界大戦に駆りたたせたのか、戦争せざるを得ない状況まで陥ってしまったのか、見ていきましょう。

Nach einer verbreiteten Ansicht führte der damalige Crash zur Großen Depression, die wiederum zur Radikalisierung der deutschen und japanischen Politik beitrug, und so letztendlich zum Zweiten Weltkrieg.

「広い目で見れば、この大恐慌がドイツと日本の政治を過激化させ、最終的に第二次世界大戦をもたらすこととなった。」

まず、日本の状況を見てみましょう。世界大恐慌勃発以前より、日本は内需の脆弱な輸出国です。明治維新以降、一部の資本家や財閥、地主に財が集中し、多くの安価な労働力を利用することで、かろうじて先進国としての地位をたもっていました。つまり、絶えず輸出国を必要とする、危うい経済基盤をもった国だったわけです。

さて、大恐慌が勃発すると、イギリスやフランスのように、対外植民地を持つ国は、自国の経済的安定を保つため、ブロック経済によって、他国を貿易から締め出す措置に出ます。これによって、植民地を多く持たない日本は、経済的にも軍事的にも生命線となる、満州への野心をあらわにします。

一方、上述のように国内における裕福な資本家と貧しい農村、というゆがんだ大日本帝国内の経済状況は、世界大恐慌後も依然として解消されることはありませんでした。農村部では口減らし、身売り、売春が相次ぎます。

結局、貧しい農村の窮状を訴える目的で、義憤に駆られた青年将校による五・一五事件、そして、軍部の暴走を許すこととなる二・二六事件が勃発。もはや誰にも軍部がおさえられなくなりました。別に戦争を正当化するつもりはありませんが、当時の日本の状況を鑑みるに、日中戦争に突入する以外、他に国民が飢えないで済む方法があったのかはなはだ疑問です。

満州事変

ドイツも似たような状況です。第一次世界大戦で対外植民地をすべて失陥したドイツは、ブロック経済のように貿易から締め出されてしまうと、にっちもさっちもいきません。挙句の果てに、オーストリアとの関税同盟はベルサイユ条約違反だとフランスに言われてしまいます。

1933年、国内の窮状を打破する名目で、ヒトラーが政権を奪取します。ナチス党は、国民に仕事を与える名目で、道路の建設、軍需の拡大など、様々な公約を打ち立て、国民の喝さいを浴びます。

ヒトラーの政権奪取

ただ、これも結局一時しのぎの経済対策ですので、結局債務が膨らんでいく一方です。最終的に、戦争をして対外領土を獲得するか、第一次世界大戦のように賠償金を獲得するかしないといけない状況まで追い詰められていました。

そんな「植民地を持つ」イギリスとフランス、そして「持たない」ドイツと日本の間で戦争が勃発したとて、なんら不思議ではありません。当時の世界各国には、世界平和に温かいまなざしを向けられるほどの余裕は、これっぽっちもありませんでした。

参考文献:日本銀行金融研究所 「金融研究」 第7巻第ー号 (昭和63年4月) ー929~33年世界大恐慌について 著:今 田 寛 之

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