ナチスは中国の盟友だった?日本を取り巻く戦前の独中関係史

最近、多くのドイツ企業が中国に支店や工場を持ち、現在中国はドイツにとってもっとも重要な経済的パートナーの一つです。今回は、そうした現状も踏まえつつ、ドイツと中国の20世紀前半の関係史について踏み込んでいきたいと思います。

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ドイツと中国の関係史

まず、中国は清の時代にさかのぼります。19世紀後半、清国はすでに末期状態にあり、列強の侵略を受けていました。イギリスとはアヘン戦争、アロー戦争で敗れ、1894年には日清戦争にも破れ、欧米列強の植民地状態でした。

もともと、ドイツはその時代プロイセンで、植民地を海外にあまり持たない遅咲きの国家です。すでに中国の植民地プロセスはアヘン戦争、アロー戦争に勝利したイギリスが着々と進めつつあり、ドイツのビスマルクは当初そこまで政治的野心を見せようとしませんでした。

中独関係にとって不幸だったのは、ヴィルヘルム2世の即位が行われ、ビスマルク外交が崩壊して植民地政策を推し進めるようになったことと、清が日清戦争に破れ、欧米列強による植民地化が加速した時期が重なったことです。ビスマルクは外交の天才で、欧州のパワーバランスをチェスのコマのように扱って巧みに外交戦略を有利に進めました。

ところが、ヴィルヘルム2世が即位し、多方面に敵を作るような政策に、すなわち軍拡主義に躍り出たため、中国もその進出先の一つとして植民地的な扱いをうけるようになってきました。1895年、ドイツ・フランス・ロシアは共同で三国干渉を行い、日本が日清戦争の結果獲得した遼東半島の清国への返還を求めます。これは、彼らが列強の侵略をうける中国に対し慈悲を示したからではなく、単に自分たちの領土が欲しかったのと、清に恩を売っておきたかったからです。その3年後、ちゃっかりドイツは1898年には、ドイツは膠州湾の租借権を獲得し、中国大陸に橋頭保を築きます。

ちなみに、ドイツは膠州で宣教師が殺されたことを理由に膠州湾を事実上植民地化しました。欧米列強が植民地を増やすためのよくある手法です。要するに、こちらがいくら平和主義を叫んでいても、大義名分を作ろうと思えばいくらでも作れるわけです。

ドイツと義和団事件:ヴィルヘルム2世のフン族演説

さて、そういうわけでヴィルヘルム2世は念願の租借地を中国に獲得しました。ただ、イギリスの植民地政策のように過酷だったわけではなく、どちらかといえばインフラ整備に力を入れたり、中国人もこの租借に関してはそこまで悪い印象を持っていない感じです。実際に、かの有名な青島ビールも、このドイツの租借時代にドイツがビール工場を作ったもので、他にも、上下水道や道路の整備に力を入れました。

ところが、第一次世界大戦の勃発によって独中関係は一転します。第一次世界大戦は同盟軍(ドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマントルコ、ブルガリア)と協商国軍(イギリス、アメリカ、フランス、ロシアなど)の戦いで、中華民国や日本も協商国側として参戦したため、青島のドイツ軍は極東で孤立することとなります。これを日英連合軍が攻撃し、のちに陥落。これにより、ドイツは中国における権益を失陥することになりました。

青島ビール

青島ビール

第一次世界大戦後の独中関係

さて、ドイツは第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約で屈辱的な、そして天文学的な額の賠償金を課せられます。悪いことをしたことに対する賠償ではなく、要するに負けたからです。かたや、中国は協商国側について参戦し、戦勝国の一員になったにもかかわらず、ドイツの持っていた権益は日本に引き継がれただけで、さらに中国にとって屈辱的な二十一か条の要求をのまされることになります。これを認めたくない中国国民はヴェルサイユ条約に反対する(五・四運動)も、結局は正義や倫理という話ではなく、列強同士のパワーバランスの問題ですのでいかんともしがたく、欧米列強は結局これを黙殺します。

ドイツ、中国ともにヴェルサイユ条約で嫌な思いをした、という共通点があります。中国はその後、袁世凱の死とともに国内が分断され、内戦状態に突入、列強に植民地化されるわ、国民同士で戦争をするわ、で中国国内はめちゃくちゃな状況です。

そんな中、ドイツと中国の利害は一致していたと言えます。軍の近代化を目指したい中国にとって、すでにアジア太平洋地域での領土拡大野心をもがれたドイツは格好の貿易相手となりました。ドイツにとっても、軍縮の穴をついて合法的に兵器を製造するため、中国へばんばん武器の輸出や顧問の派遣をおこないます。ここにきて、独中の蜜月関係がスタートしたわけです。

1928年、蒋介石による北伐の完了、1931年には満州事変の勃発と、中国大陸のパワーバランスは急速に動きます。そうすると、中国の目下の敵は国内ではなく、日本軍ということになり、ドイツの顧問団も対日戦争用に軍を指揮、兵器を輸出し、中国軍を助けます。有名な軍事顧問としては、ファルケンハウゼンなどがいます。

この独中の提携は、ドイツの産業界に大きな影響を与えました。また、中国にとっても軍の近代化に貢献したことは事実で、結果として日本軍は日中戦争中近代化した中国軍相手に苦しめられることとなります。一方で、1930年代後半になり、中国にとって幸か不幸か、ヒトラーはアジアの盟友として中国ではなく日本を選ぶことにしました。別にヒトラーが日本好きだったわけではなく、敵の敵は味方、の理論で、ソビエトに対抗するにあたって少しでも使えそうなほうを選択しただけです。結局、この日独の接近により、独中の関係は次第に冷え切っていくこととなりました。

それからの歴史は知っての通り、日独連合は特にお互いの役に立ったわけでもなく、むしろお互いに敵を増やしただけで終わり、お互いになんら利するところなく、お互いの帝国はヨーロッパとアジアでそれぞれ破滅的な結末を迎えます。かたや、中国はこのドイツ軍の指導などの助けもあり、15年戦争をどうにかやりきり、戦勝国の仲間入りを果たしました。

戦後70年が経過し、青島の町並みはなおドイツのそれを思わせます。町には外資系の資本や企業が多く流入し、一種の国際都市を思わせます。そこに住む多くの中国人が、青島はドイツ人の手によって開発され、発展したことを知っていますが、日中戦争で中国軍がナチスの手を借りていたことはあまり知りません。

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