第二次世界大戦とナチス・ドイツの凋落:ベルリン陥落まで

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前回に引き続き、ナチスドイツと第二次世界大戦の歴史です。今回は、ポーランド侵攻からベルリン陥落、終戦までの流れです。

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ナチス・ドイツと第二次世界大戦

このころのドイツの外交情勢はかなりカオスなのですが、そもそもドイツが第一次世界大戦の敗戦からこうも迅速に立ち直った理由の一つとして、ソビエトと軍事的な協定を結んでいたから、とも言われています(ラパッロ条約)。その後、一旦ナチスが政権を掌握してから、ドイツとソビエトは距離を置き、ヒトラーはソビエトをこっぴどくけなします。

ついでにこの時期、1920年代から30年代に、ドイツは日本の敵である中国と親密な軍事的友好を結んでおり、日中戦争初期には中国にバンバン武器を輸出していました。

その後、フランスとイギリスを相手に、ぎりぎりの騙し合いが始まります。フランス、イギリスは第一次世界大戦の人的浪費に懲りているので、極力乗りに乗っているナチスを怒らせたくはないわけで、オーストリア併合や、チェコのズデ―デン地区割譲を認めます(いわゆる宥和政策。)

1935年にはフランスがドイツを危惧して事実上の同盟条約を結んでいますが、1939年に今度はナチスドイツがソ連との不可侵条約を締結させ、世界を、特に日本を驚かせます(この事件で平沼内閣は総辞職します)。

矢継ぎ早に外交政策を打ち出していったナチスドイツですが、1939年、ついにポーランドへの侵攻を開始し、第二次世界大戦が勃発します。

Mit dem deutschen Überfall auf Polen am 1. September 1939 begann der von Adolf Hitler seit langem geplante Krieg um “Lebensraum im Osten”.

『1939年9月1日のドイツによるポーランド急襲によって、ヒトラーの長年計画していた「東方生存圏確保」のための戦争が端緒を開いた』

戦争準備をしていなかったポーランドと、軍の機械化を進めていたドイツ軍とでは、元々戦力の差が大きく、更に9月中旬には東からソ連も参戦し、ポーランド攻略をすすめていったため、ポーランドは瞬く間に降伏します。ここで、フランスとイギリスがドイツに宣戦布告、ただし、ソ連には宣戦布告しませんでした。

しばらくはドイツとフランスの間で小競り合いが続きますが、1940年になるとドイツ軍は機甲師団を動員し、フランス軍があまり守備に力を入れていなかったアルデンヌの森を突破し、一気にフランス国内になだれ込みます。これにより、フランスは戦争初期に早々と連合国から脱落します。ちなみに、フランスの降伏調印で使われた列車は、ドイツが第一次世界大戦で調印したものと同じで、ドイツはこれでようやく第一次世界大戦以後、フランスに虐げられていた雪辱を晴らしました。

続いて、ナチスドイツはイギリスとの戦闘を本格化させ、世に知られる「バトルオブブリテン」という、イギリスとドイツの戦闘機同士の戦いが繰り広げられます。ただし、大陸から撤退するイギリス軍に痛手を負わせられなかったドイツ軍は、結局、島国であるフランスを攻略できずに、西部戦線は膠着します。

ここにいたり、イタリアも領土的野心を見せ始め、アフリカやギリシャにちょっかいを出していますが、あまり効果は上がらず、結局ドイツ軍がしりぬぐいをしています。翌年1941年になると、ドイツはハンガリーやルーマニアを枢軸国に加え、東欧がほぼナチスの色に塗り替わります。スペインのフランコ政権もナチスよりなので、これで欧州でナチスに対抗する勢力はイギリス一国となりました。

ところが、1941年6月、ナチスドイツは『絶対に裏切らない』と申し伝えていた独ソ不可侵条約をあっさり無視して、ソ連国内になだれ込みます。関東軍の動きに気を取られていた、そもそも想定していなかった、など諸説ありますが、ここから約半年間、ドイツの機甲師団はソ連への破竹の勢いでの侵攻を開始します。

しかし、例年よりも早く冬将軍が来たことや、途中でいくつかの遅延があったことで、モスクワは1941年中に陥落しません。この情報を知ってか知らずか、日本軍はドイツの進撃のニュースを聞き、12月には真珠湾攻撃とマレー半島上陸作戦を行い、ついに戦火は世界中に拡大します。

1942年前半、枢軸国は再び勢いを取り戻しますが、ここが枢軸国のピークでした。スターリングラードに固執し続けたヒトラーは、元々軍事的な才能がそこまで無かったと言われていますが、結局偏執的な攻撃命令を辞めることができず、多くのドイツ軍がこの時期に戦死します。

日本軍もまた、ミッドウェー以降次第にアメリカとの地力の差が見え始め、1943年にはドイツはスターリングラードを、日本はガダルカナル島を放棄し、本格的な戦線の縮小が開始します。

ドイツ敗北までの道

東部戦線での撤退と同時に、アフリカ戦線でもドイツ軍は敗北します。なし崩し的に1943年末にはイタリアが連合軍に降伏し、相手側に寝返ります。1944年になるとますます枢軸国の敗色は濃厚となり、東からはソ連が迫り、ブルガリアやルーマニアといった枢軸国が相次いで離反し、ナチスドイツは次第に追い詰められていきます。

さらに、イギリス・アメリカはフランス側からナチスドイツを挟撃するために、ノルマンディーに上陸これが「ノルマンディー上陸作戦」です。ここにいたり、ドイツは欧州で東西に戦線を構築せざるを得ない状況となり、もはや風前の燈火です。

第二次世界大戦がはじまったのが1939年9月1日、1940年の夏にはドイツはフランスを占領するので、連合軍がノルマンディーに上陸するまで約4年間、フランスはドイツの占領下に置かれた形となりました。ヨーロッパでも太平洋でも、1942年半ばごろまでは日独伊の枢軸側が進撃を続けますが、日本はミッドウェーやガダルカナルで貴重な戦力を消耗し、ドイツも東部戦線やバトルオブブリテンで頓挫し、次第に攻勢から守勢にたたされていくようになります。

この辺から、ナチスドイツもやけくそになり始めます。戦争に勝つことよりも、相手への出血を強いることが目的となり、ジェット戦闘機の開発や、報復兵器(V1,V2ロケット)の開発を行い、ロンドンへの無差別爆撃を開始します。強制収容所では絶滅計画が急ピッチで進められるようになり、毎日大勢のユダヤ人やジプシーがガス室へ送られました。

1944年9月に、はじめてV2ロケットがパリにむけて、ついでベルギーに向けて放たれます。文字通り報復兵器なので、相手の軍を打ち負かしたり、相手の工場を破壊するというよりは(そもそもそんな命中率もなかったので)、相手の国民を無差別に殺傷することだけが目的でした。

同じく太平洋戦線でも、島嶼が相次いで占領されていき、日本軍には、風船爆弾のような奇抜な兵器や、回天、桜花といった特攻兵器が登場するようになりました。

1945年5月、ソ連は各地で出血を強いられながらも、ついにベルリンになだれ込み、ここで最後の大激戦である『ベルリンの戦い』が繰り広げられました。

Die Eroberung der deutschen Reichshauptstadt war ausgegebenes Ziel der sowjetischen Führung unter Josef W. Stalin. Im Februar und März brachten die Sowjets rund 2,5 Millionen Soldaten mit über 6.000 Panzern sowie 7.500 Flugzeugen für den Angriff auf Berlin in Stellung.

『ドイツ第三帝国の首都の征服は、スターリン配下のソビエト上層部にとって、最後の目標であった。2月から3月にかけて、ソビエトは250万人の兵士と、6000台もの戦車、および7500機もの飛行機をベルリン攻略に向けて動員した。』

このベルリン陥落はドイツ第三帝国の最後の大々的な戦いとしても有名で、映画化もいくつかされています。ドイツの兵士、市民大勢が犠牲になりましたが、ソビエトにとっても楽な戦いでは無かったようで、大勢のソビエト兵士がこの戦いで戦死しています。

このベルリン陥落とヒトラーの自殺をもって、ドイツ帝国の戦争継続能力は完全に消滅し、6年に及ぶヨーロッパの大戦が終結することとなります。この3か月後に日本が無条件降伏をして、第二次大戦は本格的に幕を閉じます。

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